組織を守る話。

By | 2009/04/13

どこでも良くある話。
業務を外注する場合、外注する側に計算や現実の読みの甘さだとかがあった場合、どうするか。

組織を守りたい場合は、本当の問題を他の問題にすり替えて、外注側の責任に嘘をついてでもなすりつけることがある。

その本質は、組織の誰かの譴責をさせるということが、組織の誰かを辞めさせるとかいうことに繋がったり、特定の人のパワーバランスに影響を与えるから。

そして、なすりつけた責任で、その組織内の責任を外注側に金銭的などでとらせる、簡単な話。

ただ、それの体勢は、社内でのパワーバランスも同じように働くということ。
結果的に免責になる一定の人たちを守るために、下の特定の部分が譴責=辞職させられる。

でも、それは働きやすさだろうか。
本当の職責者に責任が行かない、組織だけを守るシステム。
効率的でも有機的でもない、非効率で無機的な組織。

同じような場面にあちこちで遭遇する。
本当にチームが無くなるときの責任の所在はどこかも同じ。
必ずしも選手やスタッフやフロントの責任でないこともある。

ただ、それを違う組織を存続させるためにそうする場合もある。
それは本質だろうか。

組織のために細胞を殺すような。
でもたとえそれががん細胞であっても、抗がん剤は身体に一時的か恒久的かは分からないが、シビアな副作用が出る場合が多い。組織には必ずしも優しくはない。

けども、どこかで見た国は、あまりにも組織を生かしすぎないか。
それが行きすぎると、60数年前のその国や、現在の特定される近隣国と同じ状況になる。いや、特定のこの国の宗教集団も変わらないし、一部の政治勢力も、変わらない。同じ何かを拝むような集団は、この国の縮図であると思う。