語ること。

By | 2008/11/11

いろんな物を見て、いろんなスポーツを見て、いろんなところに行って、いろいろ感じたことを、外に向けて書く。

文字通り「字数の多い人」だけど、それでも自分のことについて言及されるのを見ていると、人の噂というのは半分以上は嘘で、真実を見抜くというのはなかなかに難しいんだなぁと、芸能人が言ってることがあながち嘘じゃないんだなぁと感じる。

そういう立場になって、初めてわかることもあって面白く感じている。

ただ、逆に言えば「字数が多く」とも正しく自分の感じている、知っていることを伝えるというが非常に難しいということ。本当に正しく理解できている人は、逆に何もいわないで見ているだけでそれなりに面白いんだろうな、と思う。

仕事でもそうだけど、そういうギャップを埋めるために話をする。気づかせるために口が酸っぱくなるくらい話す。こういうところでも語る。でも、それでも足りない。でもそれが当然。みんなが口にする例えばコンビニの例えばパンにどれだけの成分や添加物が含まれているのかを知らないのと同じように。そしてどれが旨くて、どれが不味いのかは人によって違うように。

考えて貰うために石を投げる。波紋が起こる。その様子も面白いと思うし、その次にどういう波紋が起こるを考えて石を投げる。あえて誰に対して書いているのかをわからなくして、実際には特定の人や法人に対して書いていたりするのだけど、それを含めていろいろ考えることは意味のあることだと思う。

価値観を共有しようとは一切思っていない。共有したい人はすればいいと思う。だけれども大事なのは、「価値観の違い」を共有することだ、と思う。

それを明確にするために書き続けるんだろうなぁ、と思う。
だから大事なのはその事象について、どう価値観が違うのかを考えること。どういう背景から起こるのかを考えること。

その助けになっているのだとすれば、非常に嬉しい。

#筑紫哲也さんの特番を見て

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