(社会での交差の減少と、思慮の貧困)

By | 2012/08/28

中之島の旧住友銀行本店北の通りを、コルベットが時速70kmで走り抜ける…
ん…一般道だぞ…
続いて黒いメタリック塗装のBMWが同じ速度で通り抜けていく…

「事故ればいいのに」

そう思う人もいるだろう。

彼らにしてみれば、そういう車に乗っていて、ハンドリングも確かだから、それくらい飛ばすのも当然、権利がある。そう考えているのだろうか。そして捕まらなければ法律を多少犯しても良い、という行動をしているのも確か。

そういう人は運転に慣れない人も周りにいて、ストレスを与え続けているなんて考えもしない。その蓄積で疲弊して、事故を起こしても、彼らは責任を取らない。

ただ、「事故ればいいのに」という発想は、多分、その責任とは離れたところにあるのではないか。そんな車で乗って派手なことをしていて、天罰が当たれば良いのに、と言わんばかりに羨んでいるのではないか、そんな気もしてしまう。

この対立は、結局のところ、お互いを理解しないことによる断絶そのものではないだろうか。そんな運転をする人も、事故れば良いと思う人も、実際の生活で交わることなど、ほとんど無いだろう。その道路上だけのこと、かも知れない。

同じことが、2つの国が争っている場所で起こると、どうなるだろう。
先と同じ主張を、当事者間で面と向かって啀み合えば、どうなるだろう。
折れ合う訳はない。
もっと緻密な交渉、綱引きが必要になるだろうし、時間もかかる。

でも、分かりやすいことを求める。簡単で考えなくていいからね。
そうなると、折れさせられた一方はどうなるだろう。
よりストレスをどちらかが貯めることになるのだろう。

政治でも同じではないか。

一見分かりやすい政治、が、昭和恐慌の後に見せたものがなんだったか、私たちは忘れてはいまいか。

社会の交わりの部分が少なくなり、互いのことに想像が及ばない、思慮の貧困。
また、3四半世紀ぶりに、それに直面しているのではないか。
そんなことをふと思った一瞬だった。