提言:大阪エヴェッサ(旧)からの脱却(2)

By | 2013/07/29

(1)より続き

実は、このチームを見始めたのは、2005/11/5のなみはやメインでの大分戦でした。よく、これを「プロで」やろうと思ったなあ、という覚悟に感心して、見続けようと思った、というのが見続けることになったきっかけです。ただ、実際には、プロバスケット、と言いますが、親会社(ないしは個人)に50%以上の支出をしてもらって成立する。それで利益を産んで大きくする、という覚悟があるのだろうな、と思っていました。そして2年目からシーズンシートを購入するのですが、その時の営業部長さんに、3年過ぎて黒字にする覚悟がおありなのでしょうね?というお話をしました。某大手商社では、3年で黒字化しない場合は、子会社を売却してしまうのだそうで、実際、そうなった会社も知っておりましたので、そういうビジョンがあるのでしょうね? とお伺いしたつもりでした。

実際見ていくと、結構、まあ、縁をご自身のご都合で、切っていくことをよくされていました。そういうところには理由があるのだろうな、と思って、そうならないように要所で少し言うようになりました。

ただ、結果的に、今のチーム状況のようにゆかりが消えているのはどうしてか、ということで、おおむね変化がなかったこともお分かりでしょう。1年目から継続している大口スポンサーが大日本除虫菊のみになっていることだけでも。

そして育成の名前で、カレッジでチームを立ち上げていますが、今一つ大きく出る選手は出ていません。現場は頑張っていると思いますが、枠組み自体が本質的な育成を求めているのか、といえば、「少し違うところにある」ような気がします。それひとつだけではありませんが、短期軸を見すぎていて、長期的なものがあまりなかったように思います。

結果的に、誰に「ババ」を引かせるかのババ抜きになり、現状があります。確かにお金を出しているから、というのはありますが、じゃあ、それが多数の人の持ち物にならなくていいの?という問題に直面することになります。

bjリーグがフェアネス&オープンをうたわなくなったと同時期から、そのチームを多くの人に「マイチーム」と思わせる動きが見えなくなってきた、ということは皮肉でしかありません。ただ、それをたとえば、昔は最終節に7千人来ていたのに、と言っても、客単価が異常に低い、招待券率が高かった、という実態は「実業団」に近いものであったことも事実です。

先に挙げた2005年の開幕戦で活躍した大分の選手が、もともとは大阪に入る筈だった、ってことからも、如何に縁が奇妙なものかということがお分かりになるでしょう。後で聞いてびっくりしました。

いろんな縁で偶然とは言わないまでも、何かの縁でつながって、あそこまで完成度の高い集団ができていたことは、今思うと奇跡的だったのかな、とすら思うのです。そして、その縁が簡単に切れていくということは、何が理由なのか、ということを考えるべきなのです。

…しかし、今年から大阪エヴェッサは外部から人を入れて大幅に体制を変えていくことになっています。ただ、そういう過去の「誰かのふところに手を突っ込んで」いるチームから変わろうとしています。まあ、いつまで我慢できるかという問題はありますが。過去のそんなチームは、別のものと考える必要があるでしょう。

そういう絵を事実とは「違う」のかもしれませんが「自分は」見てきました。

いまでもその当時のそんな「縁」の上に存在したチームを「ものさし」にして、何かを測る方を拝見します。そのものさしが「間違っている」としたら、それをものさしとして図った結果も「間違っている」のではないか、ということを、考えなければならないと思うのです。

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