「スーパーマン」の弊害。

By | 2016/05/25

なにかあると解決してくれる人がいればなあと思いますよね。
でもよくよく考えてみると、というお話。

何かを頼める人がいると、その人は頼める作業はその人に頼んでしまいます。
ということはその作業の手順は身につかない。
あまつさえ、その作業をすることすら忘れてしまう。
人ってそういうものだと思います。

誰がやっても動かせる仕組みを作る場合、各自は業務範囲を担当します。
そこはエキスパートになる必要があります。
ところが、やっぱり頼んでしまう。できない。そうなると業務達成は属人的になります。
1つならいいですが、あちこちでそれが起こったり、複数の人が1人の人に複数の業務を依存すればどうなるでしょうか。

「スーパーマン」の居る世界を考えてみてください。
あれだけ「荒れた街」が、彼の存在で根本的に犯罪が減っているでしょうか。
減るわけはありません。警察や行政が効率的な対策を打っていないからです。
最後はスーパーマン頼り。それではまた「雨漏りを塞ぐ」だけ。
しかもその「塞ぐ行為」は感動を呼ぶものであるから、本質的な改善からほど遠くなる。
目を向けない。

業務も同じかもしれません。
出来ないことをしてもらう、その結果業務の出来る範囲を増やさなければ根本的な解決にはならない。
だから失敗に寛容になり、つねに大穴があきそうな時に「カバーする人」が居て、
その中で成長する必要がある。

なんでも出来るから任せて楽に、で何もしない、学ばない。
本当にしなければいけないことから逃げる理由にもなりますし、
そういうことが、自らの枠を小さくしているのかもしれませんね。

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