自分の考える「応援グループ」とフェアネス。

By | 2018/04/09

先に書きましたが、応援グループとして見えるようにやる場合に留意したい点として
オープンにやることは必要と申し上げました。

その自分の考える理由を述べていきたいと思います。
これはある意味、小生がそういう行為をまとめること自体が間違いであるという理由にもなります。

・実際と将来の市場の大きさ を考えて行動し
・SNSの書き手と読み手の数 を配慮して見えない人を意識し
・自我欲求の排除 をして多くの人に参加してもらえる対象となる

という内容になります。

1)市場の大きさ

概ね1シーズンでの観客の平均来場回数は、
最近はちょっとデータがないのですが、
bjリーグでは各チームにより3~5回くらいと言われておりました。

今、ストークスで言えば平均観客数は1800人程度。
それを30試合とすると54,000人。
新体育館ができると、5億~7億の財政規模のチームを考えると
平均を3000程度にまであげていかないといけません。
30試合で90,000人になり、5回平均としても18,000人。

もちろん回数平均が増える可能性も減る可能性もありますが、
この数字を仮説とします。
既存客も大事ですが、
当然のようにこの増える7,000人にリーチしてかつ来場いただく必要があります。そ
のための施策が重要になります。
それをこの数年でやっていく必要があります。

2)SNSの書き手と読み手の数。

SNSばやりの現在ですが、上記の市場に比べて、
どれくらいの人がアクティブに発言するでしょうか。
ツイッターを例に取れば、ホームゲームで1節でチーム名等を上げて
書かれている方の数は概ね50名いらっしゃれば多いのかな、
と自分の応援するチームを見て感じます。

一方でチームの試合結果に対するRTとLikeの数は概ね200件前後。
まあ2試合ですから400件程度になります。
この数を比較しても、差があることは理解できると思います。

昔、パソコン通信というものがあった時代、
当時、アクティブと言われる掲示板で何かを書く人は、
週1回以上読みを含めてアクセスする人の概ね5%~10%というデータでした。
基本的に書かずに読むためにアカウントを持っている人もツイッターでは拝見しますし、
自分が直接やり取りする人と、
読まれる方比率に至っては 1:50 位です。
まあ、これは異常とも思います。それにSNSは書く側の敷居が下がっているので、
1:10まではいかないかなとは思います。

ただそれでも、書いている人の数倍(自分は5倍より多い数)ほどの人は、
SNSを見るだけだったり、RTや♡を付けるのが多い、
ということを意識する必要はあるのかな、と思います。

そういう読み手から見て、多くは関係者は内側に見えますから、
そうした書き手に広くフェアに対応できているか、ということは大事ですし、
一緒にできる対象の方が増えるような対応をしていくことはマーケティング上大事かなと思います。

そしてそれは、1)のまだ見ぬ7,000人にもフェアか、ということになっていきます。
もちろん応援グループにも必要です。

何か新しいアイデアを得るためや、
市場状況の判断としてSNSは重要ですし、
「何か特別な対応」という「自分だけ」感というのもありますが、
1つ忘れてはいけないことは、
つい最近見たツイートで
「甲子園球場のライトスタンドで聞いたら、99%以上がタイガースファンでした」という結果が出たとして、
それを兵庫県全体とか、日本全体のデータとして考えてはいけない。
補正したり前提を考える必要がある、ということです。

間違うと内輪受けになって、外が見えなくなります。

3)自我欲求の排除

なんか自然と一緒に見ているような集団が認識できるのは
観客が2000人程度以下である印象を持っています。
というのも小生は観客席を見た時に、
個人を判別しやすいのがその規模という印象をあちこちの会場を見て持っています。
3,000を超えるとほぼ気にならなくなります。

昔、見始めたころ、
知り合いとかいつもいらっしゃるような目立つ方に
投げ入れギブアウェイグッズを選手とかチアがあげてしまうことを、
疑問に思っていました。
そうならないともらえないのものなの?と。
グループに見えれば、なおのことですね。
(なお自分はギブアウェイに一応反応はしますが、
来たものはお子さんに差し上げたり、投げ入れたりしています)

このような「気になる人」に何かが集中しやすい環境になれば、
それが誰もが持つ自我欲求(マズロー理論でもあるやつです)を満たすかどうか、
ということにつながりやすいのかなと思っています。
そう、見てきました。

また逆もそうなのです。目立ちすぎる場合は、
・なぜああ目立つのか、と、逆に批判の対象になるから厳しくなることがある。
・「逆に(準)公式として縛って」全方位的にやる必要がある。
ということがあります。

なので、アメリカでは、手持ちであってもバナーやプラカードのサイズは制限されますし、
手持ちしていい状況も制限されます。
「他の人の権利を奪うことになる」とか「他の人もやると混乱する」ため、させない、
ということです。フェアネスですね。
でも名物になれば許される鷹揚さもあったりもしますが。

なので、団体として行動する場合には、
そういう自我欲求の達成ではなく、逆に制限することが必要になるのかなと思います。

実際、栃木や、最近いくつかの元企業チームで公認応援団長のような形を設けていますが、
基本的には滅私奉公に見えます。
運営と協力する形になっていますが、
逆に発信する内容は、「当方のように自分の好みを書かず抑制する形」で
禁欲的になりがちで、
それでうまくいっているように外からは見えます。
市場を相手にしないといけないので。

要するに大きくなるという前提では、
当方のような「そういうこと以外について」趣向を出す立場で、
かつ関係者に知り合いが多くなってしまっているという状況は
「全く正しくない」状況であった、ということです。
なので、早くお譲りしたい、と最近言い続けていた、というのが実際のところなのです。(近日、行いますが)

4)結語

つまり、応援グループとして中心的に行うことは、
全般的に自己犠牲の上に成り立つことです。
特に栃木の活動を見ていると感じます。
まさしく奉公滅私的ですらあります。
そういう行動であれば、日本という市場環境を考えあわせた時に、
受け入れやすいんだろうな、と思います。

特に現状のB2位の規模ならともかく、B1のように公共に大きく露出する場合は。

そしてそういう人を立てて、どう周りでサポートするかが出来て、
ようやく成立するのだろうと思います。

そして、それは以上に挙げた理由で私ではありません。
そういうことです。
で、2018/4/14・15の@千葉はお休みするということです。

今後は声の大きい芸人位に感じていたければと思います。

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