bite : グローバル化と国籍・地域差別。

By | 2004/03/13

最近、某匿名掲示板の影響か、針小棒大に捉えて本人は「区別」のつもりだろうけど、「差別」しているケースをよく見る。特定の集団に対し、起こった少しのことを集めて、こいつらは悪い、という印象付けを結果的にしてしまう、というような傾向。

あくまでもそういう傾向が有る場合には、母集団との確率などで論ずるべきだし、局面で語る場合でも、それを明示したり、傾向として感じることを比べるのならまだ理解はできる。でも、そういう人たちはそうではない。

まあ、当局すらそうではないのだし。外国人犯罪に気を付けましょうとか、左派ゲリラに気を付けましょうと言ってるけど、じゃ日本人の犯罪はいいのかとか、右翼や「その手」の団体の行為は付けなくてもいいのかとか。形だけの撲滅委員会はもういいから…(苦笑)。

ある特定の集団については留意する必要があるのは確かなんだけど、例えばUSでは南部以外であれば、確実に人種差別になる行為も看過されている現状があったりする。外交権もない事実上「USの自治領」に住む日本人に取っては本国との違いは重要な問題(苦笑)。

全ては今不景気だと言っても、この国が豊かであることによる問題で、先進国の共通病とも言える。そしてその国の経済に不安が出てくると、それらの国の人を排斥することによって安心感を得ようとする人が増えてくると言う問題がある。しかし、通常、それらの人は、統制をすることによる利権に実際は重きを置いているので…というと今の日本の体制も有る意味「そういう」体制なんだろうね。

グローバルになることによる、反動的な作用。でも物流によって効率化が行われる限り、物と人の移動は続くし、コストは下がりつつける。競争経済を維持する以上、これを停めることに何の必然があるのか、と思う。逆にこういう人達ほど、「社共」を嫌うけど、この背景が存在する以上、彼らは自由経済を嫌っているとしか思えないのだが。

お互いの理解があれば、日本国内で行政単位を超えて普通に取引がされるのと同じように、海外でも行われて当然なのだけど、その差に理解がないことによって阻まれる。その背景にあるものを理解せず行うことが、すなわち差別になる。

それは個を認めようとしない傾向の強い、日本社会にいる日本人には難しいと思うけども、そうしないと日本社会自体が、逆に「区別」されてしまう可能性もあるんじゃないかと。

人を地域や国によって、理由を後付けにして、意味のない嘲笑するような行為を許してはならない、と思う。それらを行う人を哀れむ必要があるのだろうね。彼らは考えることに対して、自分が少なからぬ障害を持っていることに気付いていないのだから。

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3 thoughts on “bite : グローバル化と国籍・地域差別。

  1. wolfy

    それと、「あそこ」の「煽りに乗せられて」云々っていうのも大嫌いだったりします。
    本質からすぐそらしちゃうし。

    儀礼的無関心、と言う言葉もありますが、「誰も叱ってやらない」っていうのもどうかと。
    昔は批判の1行レスってのは禁止事項だったんですよね。知らないだろうな、多分。

  2. Hiyohiyo

    自分で判断できない人が増えてきちゃってるんだろうなぁ、と思っています。他人の意見をそのまま受け入れちゃうような傾向はよくないと思っているんですが…自分のなんとなく思ってることと同じことを言う人には内容に関係なく迎合しちゃてそのまま流されていってしまうというか…もうちょっと自分の頭を使って考えてくれぃ、とか思うんですけどねぇ…

  3. Hiyohiyo

    つーか昔からある、ラベル付け、とか言われるやり方が蔓延しつつあると考えるべきか…でもってそれが安直な、ステレオタイプ、な見方で補強されて…

    思考停止は簡単だからなぁ…やだやだ…

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