震災10年… It could happen to you….

By | 2005/01/17

今日で阪神・淡路の震災から10年。当時は大阪市北部に住んでいて、5時45分に空気が違ったので目覚めて、揺れ始めたので自室の布団の中が一番安全なポジションだったのでやり過ごす。その後居間に行きTVを点け震度5との速報がありながら、神戸の震度が「出ない」事、「大都市」からの情報が入らないに何の疑問も持たないこと、大阪のキャスターすら、震度5のみを感じ、揺れている時間の長さから何も感じず、予想しなかったニュースキャスター達の危機感の無さに疑問を持ちながら、水道が出ないことを確認して、コンビニに行き、水を買おうとした。すると既に1.5l以上のサイズは無く、500mlのとりあえず飲む分を確保のみをしたあの日。水道が2時間して出始めた頃、中山手のNHK神戸の外の爆撃されたような映像で初めて、大阪や東京が事態を把握したあの日。

前の会社のあほな(今は種種バレて沖縄に飛ばされたらしいが)上司は何があっても出勤しろというだろうから、オフィスに向かったら、そのあほ上司は(小生たちが)出勤するのが当たり前と待っていて、そこで初めて本社から自宅待機指示があり、守口のジャパンで灯油缶を買って、西宮の友人宅に水を配りに行ったのがその日の出来事。武庫川を越えるだけで様相が一変したように、阪急今津線から以西はもっと状況が違っていたことを思いだします。

いろいろ援助があったとは言え、中学・高校の地学の知識すら生かせない、エリートであろうニュースキャスターの想像力の貧困、というか教育の貧困の継続は、スマトラ沖地震での海の色や、事前に波が引いたことに何の想像もできなかった、何人かの日本人の個人ビデオ撮影者の言葉に表れていました。

教育というものは重要でありながら、最近は詰め込みをしないから学力が下がるといい、とは言え小生の高校でも地学、地理などの試験に関係ない授業は内職の時間としていた子が多かったように思います。そこで受けた教育から考えることを求められないので、公式に填った考え方ばかりをし、即時的に地震が起こった場合何が起こっているのか考えられないというのは、数値化される「学力」以上に情けない話。

地震での対応性は中越地震などを見るように改善はされてきましたが、一般の人の意識は有るところでは変わっていますが、有るところでは変わらず。動物の第6感のような直前予知の研究というけども、その前に何が起こるかということは現実には教育されている訳で、それを感じられない、というところから、知覚の鈍り様を感じずにはおれない訳で、その中での予知に何の必然があるだろうか、という気が未だに小生にはしています。危険が起こるなら知らせてくれ…と言っても、知らせたら何が起こるのか、そもそも伝達に不公平はないのか。予防医学と治療医学の違いのようなものです。そして、予防医学には際限がないので、基本的に「保険」が効かない。その費用はどこに流れて、誰が潤うのか…。

また、スマトラ沖地震には費用を何にも無しで拠出を決議するものの、国内での震災被害については、撤去費用などは政府が個人に出せるものの、「上物」の再建費用には一切出せないことが定義されていながら、外国であれば拠出できるというのは如何なものか、有る意味、国内と国外に対する、「自己責任」の意味の2面性を感じずにはおれないのです。国民より国のメンツだけが重いのだろうかと感じます。

有る意味、地震から変わったもの、変わらなければいけないのだけれども止まっている物、両方を感じることができます。

9-11以降のアメリカが変わったのと同様に、地震以降のあの付近も変わりました。良い意味でも悪い意味でも。そして「復興」という言葉を使う事にこだわる姿勢もでつつあります。しかし、夙川~灘にかけて、国道2号線沿いを走れば、西宮~大阪と較べて、まだまだ空き地が多い事が目立ちます。再建された方も、債務を2重に背負っている方も多くいらっしゃいます。言葉の問題ではなく、人の生活というのは、それでも続いていくということは、被害の最近無い地域のかたには、ご理解をお願いしたいと思います。

そして、それがあなたにも起きる可能性があるということを。

犯罪者に向かって「われわれ善良な市民は…」という言い方をされる方がいますが、私に言わせれば、それは偽善です。あなたの車の前に、たまたまバイクがよろけてくれば、あなたは善良な市民ではなくなります。通勤電車の中で、手を動かしただけで、痴漢とされ、3年程度の裁判中に、会社の職を失うこともあるかも知れません。無罪を立証できなければ「性犯罪者リスト」にあなたも入るかも知れません。

それは地震等の災害でも同じ事です。
あなたにそれが起こるかも知れないと思えば、何が正しいのか考えることが出来ます。対応することが出来ます。そして何が不足しているのか考えることが出来ます。それが判断基準になるように思います。何事にも。
そして、自分の生活が微妙なバランスの上に成り立っていることが判ります。
それが崩れた時に、少なくとも、この国の政府は国民を助けることを考えてはいない、ということも初めて思い知ります。少なくとも私は。だから自己責任で「地震保険に入りなさい」という話になる…けども、最大総額4兆円の支払いしかないのに、関東で地震保険に入る意味がどこまであるのか…。無いよりはマシだけど。

そこにこの国の言う「自己責任」と、実際の自己責任の違いがあるのでしょう、多分。

教育、自己責任の意味を改めて考えたこの日です。
散文失礼。

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One thought on “震災10年… It could happen to you….

  1. なにわっち's Weblog

    震災から10年 – あの日のこと

    未曾有の惨事から10年の時が過ぎようとしています。この10年、長かったような、短かったような、色んなことを思い出します。 1995年、学生だった私は神戸に住んでいました。といってもバイトで家賃を払って…

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