JR西日本の体質は「日本の文化」

By | 2005/05/27

以前からJR西日本の問題は、事故を起こした企業体質は、基本的に日本全体の問題であるというスタンスであったのだけど、週刊ダイヤモンドの今週月曜に発行分のコラムでも同様(企業体質は日本の「文化」)の記載があったので溜飲を下げる思いをする。えらそうに「運転手の声が届かない」なんて書くメディアと、それを見て企業体質「だけ」の問題にすり替えると本質を見誤る。

企業の風通しの問題は、日本という国に根付いた問題であるのは当然。例えば営業へのクレームが実際に上部まで集約されるにせよ上がるのか、というのは三菱自動車だけではなく、その他にもいくらでも例示があるだろうと思うし。問題があるのが当たり前で、それにどう対処するかということが大事であるのに、問題が「あること」自体が問題という意識の企業や組織が未だに多いじゃないですか? なのにJR西日本のオーバーランや、日本航空のトラブルの報道に関して、公表せざるを得ない状況であるから公表したら、それを見る一般の人の反応がどうか。「問題が有ること自体許さない」状況で、だから隠蔽体質になる。本当は仕事すればするだけトラブルが有るはずなのにね。

アメリカなんてのはいい加減な国で、なんでもトラブルの根を持っていると言ってもいいけども、カバーがすさまじいことと、サポートセンターの記録も録音される可能性があることをアナウンスするなど、問題解決について力を割いている印象があるんですけどね。

ただ、今の日本は表面上資本などの「アメリカでの」標準化ばかり進めていて、それが結局被雇用者に負担を強いる形でしか変化を産んでいない。有る意味逆に風通しが悪くなる結果となっている部分もあるように感じることもあって。要するに「リストラ」の的ってこと。で、そのトラブルのカバーについては、あまり「アメリカ化」が進まない。結果、雇用者の給与は増えないまま、企業の収益が伸びていく。都合の良い「ウリ式アメリカ化」が進む。

以上から今回の事故は、一般が招いた側面もあると感じている訳だけども、それに対して構造的問題として取り組みが実際にはほとんどされず、余計社会を混乱させているという現実もあるように思ってみたり。有る意味それが翼賛的な社会傾向を産んで、実際第二次大戦で敗れるまで、「坂を転がるだけで、一般に責任がない」ようなとらえ方をする。有る意味どっかの国の「愛国無罪」みたいなもんで、実はこの国にもその問題はある。

そこを間違って批判すると、欧米からは「同じにしか見えない」者同士が仲違いしているような構図にしか取れないんじゃないかと思うんですけどね。

ま、いつもの様に考えすぎかも知れませんけど、結構根深い問題であることは確かだと感じています。

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4 thoughts on “JR西日本の体質は「日本の文化」

  1. D/T

    そういえばオウムのときに、どこかの記者がオウムがいかに異常かということをイギリス人に言ったら、「君ら日本人自体がいわばその’オウム’的な感じがあるのだが・・・」と言われたという話がありました。確かに例えば北朝鮮や韓国・中国を批難する際にもいかに日本が自由な先進国で成熟した民主主義国か、と誇ったりする人々を見ると、なんとも違和感を感じます。まあ、その3国よかマシでしょうけど・・・。たぶん。

  2. Teru

    NHKがクローズアップ現代でJR西日本の事故を数日前取り上げていました。

    「同じにしか見えない」者同士、抽象的提言や、目立つ人事の入れ替えだけで
    リカバリー能力を備えられるかは、番組プロデューサー自身が良く知っていそうだなと。

    でも、今のところ内情は「この業界では常識」「察しろ」で、
    共通利益の外とされた者には箝口令。

  3. wolfy

    >Teruさん

    本質問題は、どのように風通しの良い組織をつくるか、ATS-P/ATCを導入しようが、問題が起こったときのフェイルセーフをどれだけ普段から意識させるか、そのATS-P/ATCをJR分割前から利用者に依存ではなく、一極集中でなぜ首都圏にのみ集中的に置いたのか、監督責任を国交省はなぜ果たさなかったのか…。そしてそれを自分に向かないようにメディアが避け続けるのか…ということだけですよね。

  4. wolfy

    >D/Tさん

    オウムといえば、大昔の特撮(特に石ノ森正太郎さんのシリーズ)は、悪の組織が「日本の固有の組織体系」をWolveleneが壊すということを戯画化しているということを考え合わせれば面白いんじゃないでしょうか。だからこそオウムの組織ってそれらとあまりにも似ているというか…。自分でそういう道を選んでいるから「余計タチが悪い」っていうことは考えないといけませんね。>日本 そういえば、最近の戦隊ものを見ますと昔と違い、個人の能力の合算というよりチームワーク・ハーモナイゼーション重視。両者の視点が違うだけというある意味どっちもどっちの構図になっていることは、その問題を避けようとしていることなのかも知れません。

    また、これだけ不満があって政権交代を国民がほとんど「させない」ことは、中国共産党政権の民主制を批判できないのと同じと思います。

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