賃金と人口と縮小する経済

By | 2018/10/11

先日、下のような連続ツイートを見て、
思ったことがあった。

・労働の希少性の否定
・それに伴う労働力の再生産のダウンスパイラル
・またそこから来る社会の(規模・水準の)持続可能性

NHKスペシャルで残念ながらカットされた場面のもうひとつ。
「孫さんは資本家ですから、資本家が富の蓄積に走るのは当然なんです。それでも回る仕組みが資本主義だった。なぜなら労働者が不可欠だったから。それが崩れたから問題なんです。」— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2018年10月10日

労働者も得た賃金を自分の欲望に忠実に使っていれば、それで「いい感じに回っている」のが資本主義の根本です。「神の見えざる手」というのはそういうこと。ただし、それは「労働が稀少だ」という前提があった、そこが崩れる。— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2018年10月10日

今、労働者はどれだけ再生産(自分並みに稼げるように自分の子どもを2人育てる)にコストがかかるのか、収穫できるのか、まったく予想が立たない。だったらリスク回避して産まない選択になる。それでは社会が持続可能ではない。— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2018年10月10日

では、そうなるのはなぜなのか。

労働の希少性を維持するためには、生産性が高まることによって余剰する労働力を「そう見せない」努力が必要不可欠である。例えば…
・賃上げ要求
・時短(ワークシェアリング・法定労働時間の削減・残業規制など)
がその方法として実際に取られる方法かなと思う。

ところが日本で起こることと言えば
・賃上げ要求のための紛争にネガティブ
・時短どころか持ち帰り仕事、違法残業は依然として継続
基本的には、これらは「供給過剰」の要素であり、市場の価格決定から言えば、「労働力の供給量を増やし」「労働単価を低下」させる行動なのは事実である。

結果として、人口減少→経済規模の縮小という「縮小再生産」となる。

どうしてそのような業態を取らざるを得ないか考えると、やはり
・業務手順による効率化・水準向上ではなく、人的要因に依存すること
・ひいてはそのマネージメントの手順作成、改訂能力に問題がある
ということに自分は行き着く。
手順作成を現場丸投げすることも普通にあると思う。
そのようなこと自体、管理者の管理能力の欠如、である。

ただこれは逆説的に、労働側の先に上げた労働力を供給する側としての「マネージメント能力不足」に起因するところでもある。つまり「マクロ政策」としての賃上げ行動の欠如であり、無償労働の無条件の容認などがそれに当たる。

単純なことだけれども、そもそも生産性の向上とは、労働単位当たりの収益、つまりは労働単価なので、労働単価が上がらない以上、生産性は上がらないとも言える。(厳密には労働分配率を掛ける必要があるが、単純化すればこういっていい)

また、消費行動に示すというのも重要だと思う。

このような国家経済の縮小を呼ぶ行動を容認していること自体が、政治の能力の低さであると思うけれど、それに気づかせない何か、といえば聞こえはいいが、帰結する場所は「個人の行動」であると思う。

個々の行動を変えない限り、本質的には変わらないという、一番単純な結論となる。



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