We are what we are, but we should be so?

By | 2003/12/02

仕事というものは、家庭を支えるためにする物。
ある意味においては「自己実現」のために行う物。
でも、だからといって、家族との時間や自分の時間を
放棄して行うことに意味があるものだろうか。
 
という命題は、働いている者全てに当てはまると思う。
この国では、労働基準法など遵守されていない。
実際、私は、今年7月で法定労働時間を達成して、
7月下旬からは無償で働いていることに法的になって
いる。
 
また、新しいプロジェクトが走ることになる。
これも速度が要求される仕事になる。
つまり「時間を失う」ということだ。
 
私の勤める会社は、年俸制を楯に時間外を支払ってこなかった。そしてこの10月からは、売上げに応じて「基準年俸制」に変更された。でも時間外については相変わらず基準すらない。
 
しかし三六協定は結ばれているという。
このまま続ければ、リーダー職に就くことになるだろう。
でもそれはさらに「時間を失う」ことを意味する。
 
労働手段を持たない者にとっては、仕方ないことかも
知れない。でもこれがいつまで続くのか。またそれで
サービス産業など進展していくのか、いったとしても
家計のためのサービス業ではなく、組織を動かすため
だけのサービス業となり、国民福祉という点では向上
はあまりしないのではないだろうか、と思ったりする。
 
でも一つだけ言えることは、この会社は時間外賃金を
法規定通り支払えば、すぐに立ち行かなくことだけ。
生産性を上げることは、実際には効率化ではなく、
賃金の実質上の切り下げで補われていく…
 
私たちはどこに行くのだろうか…。

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