選択肢を奪うことと、機能性食品と効率一辺倒と。

By | 2012/08/10

最近、なんだか食に興味が無い。
昼食などは機能性食品と野菜だけということがほとんど。
まあ、そのバランスをアイスクリームでぶちこわすというのもお約束なのだけど、
アイスも明らかに脳が疲れている特に比較的カロリーが低いと投入しているに過ぎない。

食に興味がないなんて、人生の楽しみを捨てているようなものだ、とも言われるし、
確かにそうなのだろう。

ただ、食べ物があるだけでも幸福じゃないの?とか、世界じゃ満足に食べることが出来ない人が過半、というのもそうではある。

ふと、何かに似ているなあ、と思ったことがある。

行政サービスをこの状況で受けられるだけでも満足なんだから、財政に合わせて切り下げるべき。
最低限を提供していればいい、負担金が無料の部分はどんどん削って…

うーん、それって本当に機能的なのだろうか。
機能食品というのは、それ以外の選択もできるから、OKって部分もある。すべて機能性食品だけにしろ、っていうのとは違う。
お金を払ったらサービスが受けられますよ、というけど、それが払えるのは限られた人になる、それも公平かどうか。

やがて食料が足りなくなって、そういう食品しかとれなくなりますよ、ということになれば、
カロリーを充足するための機能性食品ばかりになる。
食えないよりいいでしょ?と…。

そう考えると欠乏することは思考や選択肢を奪うということなんだな、という気がする。そこですり替えが行われて手足がもがれる。
為政側にとっては、満ち足りることによって、選択肢が増えることで、利益が奪われる部分があるなぁと。

そういう漠然としたことを考えた。