にわかとか、マウントとか、口論とか、それを嫌う風潮に思う、マクロとミクロの背反と、その対応方法。

By | 2020/06/15

なんだその1990年頃の邦楽のようなタイトルは……。

最近は、何かの集団とか、まあ特にスポーツでは、新日本プロレスさんのマーケティング姿勢もそうですが、「にわか歓迎」「古参は口やかましくしない」なんて風潮があります。うん、それはいいことだとは思います。マーケティングというのは既存の市場に対して行うので。でも、細かいことを言えば、いろんな考察ができます。

例えば、他の人の意見を尊重する社会であれば、多少言われても、「他人は他人、自分は自分」だし、言う方もそれで切り分けて話ができます。

でも、日本では概ね、そういう競技観戦だけで無く、会社組織でもそうなのですが、多くの場合、言われた方は批判を批判とは思わず、文句のように捉えるし、また自分の世界観に没入傾向の強い方は、他人に自分の価値観を押しつけがちです。また、めんどくさいことに、こういう社会では、「自分の見解を伝えること」を「押しつけ」と捉えられてしまうことも珍しくありません。

めんどくさいですね、日本(微笑)。

なので僕らはミクロの世界では、世間様に合わせて動かなければなりません。相手はそんなには変わらないから。でもマクロの世界では、そういうモノの考え方が自分自身を窮屈にしていることでもあるから、もっと許容度を上げていく方が良いようにも思うのです。

はい、🐺さんの文章によく出てくる「マクロ経済」と「ミクロ経済」の背反問題です。ここで片方だけを考えれば、意見は一方的になるのだけど、双方で考えた場合、動かし方とか、読み方が複雑になるのです。そらあ、「2次元」を「1次元」で割ると、無限ですんで。(また難しい比喩)

これを一面的に見てしまう人は、いわゆる古参がなんか違う扱いを受けている時に、自分がその立場に「立ちたい」と思ってしまうと、一面的に「上を叩けば落ちてくる」という反応になることは珍しくありません。このときの紛争が回りに見えてしまえば、その集団に対する失望感にしかならないのですが……「マクロ」はそう変わらないし、「ミクロ」はもめ事にネガティブに反応しがちですからね。

ところが、そう一義的にはいかないのですよ。なにしろ古参は長年の歴史で知る顔が多い。そうなるとそれに「戦いを無為に挑んでしまう」と、結果的に返り討ちに遭うだけでは無くって、その集団の価値をも下げてしまうという二重苦になるわけです。特に、その集団にかかわって収益を上げたい人には、それは迷惑な話よなあ……。

そして結果的に、「チャレンジャー」が敗れてしまうと、その人がその集団に留まろうとするときは、「新参に声をかけて集団化しようとする。」そして、集団で何かにマウントしようとする……。うーん、その集団の成功体験としてはいいのだけど、全体集団からしたら、またもめ事でネガティブよなあ……。勝ったらまた、他の集団にマウント取るしかないわけだし……。

まあ、どこでもこういうことがあって、それを起きにくい体制を作る必要があるわけです。例えば、その集団で対象に直接問題解決窓口を置いて、外からみて不満が特定の集団にたまらないようにするとか。言う方も、物事の解決方法を提示するとか、特定の対象に批判が集まらないような話をするとか、種々配慮の仕方もあるわけですしね。

そこで人の問題とか能力論ではなく、物事の改善という観点に皆が立ってくれれば、マクロの観点から解決すると思います。しかし、そうではないので、ミクロの対応として個人(自分自身)の表現を考える方が妥当性が高い。

なのでそういうところに配慮していくと、いろいろ話が通りやすくなるのかなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください