この記載は私的な推理、考察が含まれており、そのため全体としての客観的事実と異なる可能性を否定できません。そのため、本球団考はあくまでも事実に基づいた「フィクション」と定義することをお断りします。

1988年に球団譲渡されたオリックス。2004年の球団統合で、1990年秋に愛称変更を決めて以来、歴史を大切しない球団などのそしりを受けてきたが、本当にそうだろうか。統合により新しく分かった事実などを合わせて、この球団の譲渡前後以降の事実関係を推察していきます。

1.阪急・小林公平社長

まず、譲渡した阪急という会社の状況について考えた時、この小林公平という人物を抜きにして語れないだろう。実際、小林一三氏が沿線の繁栄が鉄道の繁栄と、ターミナルには百貨店、郊外には娯楽施設、途中沿線には当時としては高品質な住宅地を開発し、沿線住民との共存共栄を考えた結果、関西の私鉄沿線としての阪急沿線の人気が未だに高いことは、ここに礎があると言っていいのではないだろうか。

ところが、これを改めた人物、それが小林公平氏である。彼は小林家によっては娘婿であるということも、彼が独自性を求めた理由であったかもしれないが、それが結果暴走し、2004年に阪急の全ての要職を解かれることとなった。その発端が、阪急ブレーブスの売却であろう。同時期に進められた神戸阪急(百貨店)・川西阪急などの拡張計画の中、西宮北口の再開発計画も上がっており、何度も西宮阪急の設置の計画が上がっていた。そこで目をつけられたのが、西宮球場である。元から西宮北口駅の高架化は決まっており、現在アンダーバスのため無くなった旧球場前の飲食店街はもとより撤去される計画があった。その中で西宮阪急に必要だったのは、西宮球場の土地そのものであった。

そうなると、そこを占有している野球チームは不要になる。折しもバブルの発端の88年、同時期に西淀川区中島の工業団地建設計画を阪急は推進する。従前から持っていた淡路~新大阪~十三間の鉄道事業免許をさらに西淀川まで延伸する計画が同時に進む。さらには旧OS劇場から茶屋町にかけての再開発にも阪急は関わった。その影響が地上げ屋の横行につながり、2年後には茶屋町は人の住む場所とは思えない様相に変わった。

阪急自体が沿線事業に手を出し、現在のJR東日本ほど顕著ではないものの、90年頃から、「駅ナカ」事業も積極的に展開するなど、沿線(駅前商店街)との共存共栄から、沿線の収益を自ら一手に握る。そういう事業形態に阪急は公平氏の下で、舵を切ったのである。そうして、その融資を行ってきた三和銀行の仲介で、オリエントリース社に球団を譲渡する運びとなる。
無論、その後のバブル崩壊で梅田周辺の地上げは頓挫。再開発に時間がかかったことはもとより、中島の事業は2千億の不良債権を産む結果となった。

少なくとも、公平氏が野球に興味を持っていなかったことは、公平氏の「引退」がほぼ決まっていたであろう04年初旬に、彼が愛していた宝塚歌劇の公演の脚本・原案として「小林公平」の名前が踊っていたことと無縁でなかろう。歌劇ほど愛されていれば、ファミリーランド無くしても歌劇があり、さらには5組制にし、興行頻度を上げることを可能にする等のような庇護をされるように、阪急ブレーブスは売られることはなかったのである。まさに全てはここから始まったのである。

さらには、球団の譲渡金額は実際には28億円(2年間の西宮球場・第2球場・集勇館の使用料込で60億)であったことも後に明らかにされ、さらにはブレーブスの呼称すらグッズ製作も行っていた阪急共栄物産に握らせ続けていること、さらには公平氏の影響の強い時代には、ブレーブスを所有していた事実すら、会社の歴史にほとんど記載しなくなったことを合わせて考えれば、ブレーブスを屠る目的が譲渡にあったことを意図してとれる。当初から愛称が変更されることが予想されていたことは、オリックス譲渡後の西宮球場のビジョンを思い出していただければと思う。アニメーションを使ったものの多くは、帽子にBravesではなく「ORIX」と書かれていた。Bravesを使用していたのは20程度のバリエーションの中、わずか2つ程度であった。

また、西宮スタジアムのさよならイベントが、ひっそりと行われ、さらには私設応援団「八二会」の会長のその後のレポート、またさよならイベント自体も、阪急東宝グループの関西テレビではなく、朝日放送が関与したことも挙げざるをえまい。

事実、その後の神戸では、球場で阪急グッズを掲げることも球団は遠慮してほしいと述べていた時期があった。それが無くなったのは2002年になってからのことである。公平氏の影響力が無くなった時期とも一致することが興味深い。

同族会社の保護を受けていたチームは、同族会社ならではの問題によって、このように完全に屠られたと考えるべきであろう。

投稿者 wolfy

「私的球団考>B (1:小林公平氏)」に6件のコメントがあります
  1. 私的球団考>B (2:球場-千葉と神戸)

    この記載は私的な推理、考察が含まれており、そのため全体としての客観的事実と異なる可能性を否定できません。そのため、本球団史はあくまでも事実に基づいた「フィクション」と定義することをお断りします。
    2.球場:千葉と神戸。
    前項でもあげたように、西宮の使用について、当初から2年と規定であろうされていたこと。また賃貸費用も現在の大阪ドームの10億ですら高額と言われている中での「年15億」は事実上継続の賃貸をさせなかった契約であるのは当然のように思われる。ところがバブル崩壊で西宮球場の再開発が頓挫したた…

  2. 「くいしん坊」松岡修造さんに阪急電鉄社長やってもらったほうがよかったかも…(^_^;

  3. 阪急と東宝自体って、関連はあるけど人事ってどうなんでしょね。
    というより、公平さんでなければ誰でも「よりまし」になったような気がするんですけどね。

  4. 一応小林家の血筋だすから、ってご存知ですよね(^_^;)

  5. うぃ、知ってます。
    (馴れ合い会話失礼>all)

  6. 私的球団考>B (3:コスト意識)

    この記載は私的な推理、考察が含まれており、そのため全体としての客観的事実と異なる可能性を否定できません。そのため、本球団考はあくまでも事実に基づいた「フィクション」と定義することをお断りします。
    3.コスト意識~時代を先取りしすぎたためのアンマッチ
    オリックスは球団を譲渡され、運営を始めた時期からコスト意識が強かった。ファールボールの数と回収数をカウント、ということもあるような会社だった。ただ、否定ばかりするわけではなく、当初から、球団は黒字化してビジネスとして運営できる環境を作ろ…

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