B@T戦が近づくにつれ、某所ではTファンを装った方の不毛な書き込みが増え、拝見しつつ、いろんなことを考えていました。
ちょうど仕事が一段落したこともあるのだけど。
どこでTと「それ以外」という意識が付いたのかなぁと考えてみるのですが、意外と関西では50代(特に後半)以上の方には在阪パ球団に意識のあった方が多いように思います。そこからその年代の20歳前後という時期を重ねあわせると、凡そ35~40年前という時代が該当するわけです。
その時代と言えばおおよそ1960年代後半。この辺りに節目があるのだとすると、答えは簡単で、1965~1973年のGの9連覇と時を同じくするのです。調べてみれば日本テレビが開局した年には、中継として全米オールスター対全パシフィックや、大映対東急戦などを現在のゴールデン枠で放送していた記録が残っており、ホームでの中継は阪神戦のみであったことから、53年当時からG-T戦は興味のあるカードだったといえるのでしょう。
で、この時期、1966年に日本テレビは日本テレビ放送網を開設。56年に朝日放送と中部日本放送が日本テレビとでネットを組んだ時代なんてのもあったんですねぇ…。そしてこの時期にこの系列が強烈にG戦を全国中継。王・長嶋・堀内なんかいた日にゃあ、ということで、タイミングも良かったことが感じられます。またサンテレビ開局が1969年というのもポイントかも知れません。(T戦は数十試合中継していましたが、B戦は10試合程度でした)
それまではTV中継でH戦があれば、飲み屋で見て面白そうだからそのまま大阪球場へ、などという光景も有ったといいますから、TVの果たした影響というのは甚大であったといえるのでしょう。また小生の小さい頃、阪急沿線であった周辺では、実際にはGとTのファンが半々で、Bは「みんなが仲良くできる」別世界でした(ちなみに選手は大方の子が「よく知らない」けど「子ども会」には入っている…)
そう考えると、セ偏重の関西の流れは、TVとONが「ほぼ10年」続いた、という流れで決定付けられたという仮説を主張してみたいと思います。
異論等お待ちしております。