メディアが単に宣伝を流す側の都合の良いツールになって、また観客につまみ食いされるようになって、流れているからお金を払って見るという物でもなくなって。
なんだかんだ言って、無料ゲームで利用者をのばしたGREEやモバゲータウンも、結局なんだかんだでミクシ(あえてこう書く)に人が流れるようになって。で、PCから向かっているかと言えば、実際電車で携帯からアクセスしているのをよく見かけるような感じで…。ミクシ自体も友人のみ公開とか閉じた世界で使うものとして、発信して何かを産みだそうというものなのか、という疑問をいつも持っていて…。
実際にマーケティングでは所得や社会階層的にもPC>携帯だということも、周知の事実になっていて。キーが少ないことが使い易さになっているのだとすると、PC用に携帯型のUSBキーボードを専用FEPセットで作ればいいのに、という冗談を考えてしまうくらい。
まあ、携帯がfool-proofなのか、携帯というシステムが proof from foolsなのか、となんてことも考えてしまうように、そういう閉じた世界というのは、fool-proofか proof from foolsなのか、両方の側面があって、某所で見たiPhoneを会社で導入したケースなどを思い出す。勝手にWordファイルやExcelファイルも見れないので、そんなとこには入れないし、メモリカードも入らないので情報流出も少ない。その通りだろうと思う。機能が制限されているというは、ある意味 proof from foolsなんだろうと。
閉じた世界というのもそのもので、foolからも、foolにとっても proofableなものなんだという事実と相関する。
気持ち良い仲間とだけ気持ち良いつきあいをする。でもそんな人間関係はrealなものだろうか、と。
そういう社会は望まれるべきものなんだろうかと。
アメリカのセールス関連や、成功するための本でもなんでも、交渉(ネゴ)についての技術を語っているものが多いように思う。
それとは全く対局にあるもの。
人は人とやりとりすることによって、付加価値が生まれるのに、それを排除することによって付加価値を下げ、自分の価格を下げる。一種マイナストレンドに入るパターンとも似ている。結果的にサブプライム問題もそんな付加価値を、人と人の問題から技術的にすり替えてしまったことによって、一時的に増やしたけれど、結果価値を下げてしまった。そんな気がしてくる。
人は人との関係で付加価値を生むのだろうと。
その一方で、ネットワークが発達することによって都合良い者同士が集まる。
都合悪いものは排除する。
でもそれで失っているものは大きいのだろうね、と。
携帯とミクシはそういうものを教えてくれている、ような気がする。
そういう人たちを結びつけることで、彼らは利益を得る。
けれど、それが全体の価値創造かどうかは、もう少し見ないといけないのかな、とも。
とはいえ、auのデータカードを、iPhoneにポートアウトするか考えているのだけど…
“iPhone 2.0″で悪くはなくなったのだけど…でも実際には使い易いのはTreo 750なんだよね、自分には。
au, Treo出してくれんかね。Touch Diamondはのろくてダメですよ…。
[…] 「携帯とミクシともろもろ。」にも書いたのだけど、数値的なデータが出ていたのでご紹介。 […]