IT Mediaのこの記事を読んだ。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)
梅田さんのおっしゃりたいことは理解できるし、自分もそう感じる。
表現を変えれば、ネットは実社会を広げるためのものであって、仮想現実を具現化するものではない、と思う。
リアルな関係があってこそのネットなのだけど、ネットの引用だけでそれが事実かのように感じている事象は、evess.netでも先日(5月下旬)でもエントリーで1つ書いたけれど、そういう妙な雰囲気が蔓延していて、それが実社会に悪影響を及ぼしていることすらある。過去にスポンサーが一つ消えたなんて事象もあった。何がどうとは具体的には書きたくないけれど。
実際、暇人の道具化しているのは事実だろうと思う。自分は考えを整理するのに、あえて公表する方法でのツールとしてブログを使っているのだけど、それを公知することを「上から目線」とステロタイプに批判する。というか、そういう人たちは「ステロタイプ化」するしか批判の方法がない、とも言える。
それで考えて違う知を創造することに意味があるのに、可能性を放棄している。
そんな気すらする。
mixiのエントリーの気持ち悪さ(特にニュースに関連するもの)と、facebookのやりとりとは全く異なるのもその一端かなぁと。もうSNSは全部facebookでもいいかも知れないと自分の近い方だと感じてしまう位。ある意味、「フラットだと勘違いさせているだけでフラットではないことに気づかない(ようにさせている)」この国と、「フラットにしようと努力することが大事だけどフラットで無い以上、それなりの振る舞いを迫られる」かの国のネットへの接し方の違いそのものかも知れないとすら思う。いや、ネットだけじゃないのかもね。現実も近いものが出てきているし。
それにサブカルチャーはサブだから意味があって、それがメインでないからサブカルチャーなんだってこともある。最近それを勘違いしている人が増えているのも、少し違和感がある。こういう勘違いはそういったサブカル系の方に「あっちのblog系」のコミュニティーで多いような傾向があって、そのことはサブカルファンに取っても不幸なことになっている気がするし。
それでも、この人はあいも変わらずチャレンジし続けるのだと思うけどね。
最近、そのカテゴリーでも少しずつ自分が面白く感じることを書いてくれる人たちが増えているのが救いかなぁと。
梅田代表取締役の当該記事で言えば、
新聞記者から「辞めて、その発言を日本のために」発言が、
(ネット上では手段が原始的になっている故、特に目立つ)
叩き言動の、原型であるように見えます。
こういう(元々プロが表現だけ上手にやっていたが、
ネットで低廉化した)「嫉妬メディア」の跋扈に、
どう制度設計面で対処していくかが、
ネットワーク利用の最大課題ではないか、と私は考えています。
もっとも、メールアドレス一つ、blog一つでも
開設すれば、スパムもしくはコメント欄での同一主張の連呼
(自ら単純プログラムのように連続ペーストすれば、
主張の正当性の度合いが上がるとの錯覚)を受けるという、
管理コストを、誰でも払わされる現状ですから・・・
最低限、仮面さえ被れば「その他大勢」で居られる場じゃない事を自覚して、
否定的感情をそのまま、不特定多数相手に暴露する事だけは、
自制していかないといけないのでしょう。