ネットが先鋭化しやすい理由とリテラシー。

By | 2009/07/08

もう5年くらいになるけど、アメリカ民主党の Howard Dean 州知事のメールマガジンを購読(正確には有料ではないので、配信だけど)している珍しい人がここに。要所要所で個人献金やイベントなどのお知らせ、最近のニュースに関する判断などについて、1日か2日に1通くらいのペースで届き続けている。

Dean氏と言えば、2004年の米大統領選の民主党予備選の候補で(アメリカにしては)先鋭的なリベラル候補だったと自分も思うし、一般的な評価もそのようだと感じている。そういう候補がネットでかなりの金額の献金を集めたことが話題になって、それを知ってメールマガジンを購読したように覚えている。

そういえば、Obama氏にしても、ネットで支持が集まる人というのは基本的に先鋭的な人のような気がする。それはネットが広範化した中でも変わらないというのは、そういうことに時間を掛ける熱意のある人が集まる傾向があるからとも言えるし、そのカテゴリーについての感受性が高い、ということもあるのだろう。それは日本でも同じことのような気がする。

少し前まで「ブーム」だったいわゆる「ネット右翼」もそうで、判で押したような反応ということも合わせて、そういう先鋭化した傾向の一つなんだろうと思うし、その登場前にネットにあったいわゆる「左翼的傾向」というのもその一つなんだろうと思う。

要するに片側に寄った意見に偏りやすく、そこで議論にならず、なれ合うことによって先鋭化する、ということになりやすいのかも知れない、と自分の仮説。ただその人達にとっての「ぬるま湯」が側面の弱さにも通ずるところがあるのかも知れない、というのももう一つの側面。

伝える側にそれを意図するところがあろうともなかろうとも、その取捨選別について編集権があるのは事実だし、その選択に於いてなんらかの恣意性が発生する可能性はある。どこかで「1次ソースしか信用しない」という方を拝見したことがあるけど、その一面は一面に過ぎず、その前後の脈絡も含めて「1次ソース」と言うなら理解もできるのだけど、その事実には気づいていない。それは「一面評価」で「360°評価」ではない。(だから後者はこの表現を使うのだろうけど、実際には360°でないことは言うまでもなく、比喩に過ぎない。そうでなければ会社がすべてである、という社員に対する不遜である、なんてネタ余談はさておき)

例えば以前より個人的に日経のニュースは信用していると書いているけど、日経の政治政策的な恣意性についておっしゃる方もいらっしゃる。それはそれを事実として捉えればいいと思う。日経の重要なところというのは、指標などが多く、その考察を含めて、実際に行うべきことを判断する材料が多い、ということに尽きる。その点で自分は評価しているし、実際その結果、編集方針に反している内容の報道になる場合があることを容認しているという事実こそが重要なのだと思う。

ただネットにそれがあるのかどうか、については、やはり「読む側」のリテラシーの問題になってしまう面が特に個人メディアについては重要になるように思う

繰り返しになるけれど、日本ではそういう判断方法に関する教育が行われていないことに疑問を感じる。常識が正しい訳ではないし、そこを覆すことで新しいビジネスが生まれるということもあるし、実際、一代で会社を大きくする人の発想というのは要所でそういうことができるかどうか、だろし。

常識の嘘、に気づくかどうか。慣習の理由と背景を尊重し、より良いものに出来るかどうか。単なるモノ作りで豊かになる時代が終わりを迎えようとしている中で、必要な付加価値ってのはそういうものじゃないかな、と漠然と考えたりしている。

まだそれは自分の中でクリアになっちゃいないけど。

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