仕事をしていて思うのは、反駁する、逆に過剰に反応するという場合は、そこが弱点であるからこその場合が多いからではないか、という気がする。
例えば、何も聞かないのに、「××さんは頑張っていますから」と言えば、逆に頼りないことが多く、「××はそんなに高いわけでもないですし」と言えば大概サービスに対して高価、という意味だったりする訳で。
そうするとネット上の言論でも同じことが言える訳で。例えば…
・匿名掲示板などでの「上から目線批判」は、実は批判する人が「上から目線」。
・匿名での発言ができないという批判をする人は、実は匿名や偽名でそういうことをする権利を自ら主張している→自らも行っている?
などなど。
人間の心理は実はそういう局面では単に裏のことが多いですねぇ、とシンプルに考えてしまうのですが、どんなものでしょうね。
ストレートに話せば、ストレスは少ないのにね、と。
過剰反応と言えば、社民の連立協議における「条件闘争のための条件闘争」が、そう見えますね。
報じられている範囲では、社民は傘下の支持組織対策と、頭上の圧倒的な民主との「議席数差」の間で「最初に果実を」取りたがったという事になっています。
しかし、第一に次の参院選は比例選挙区制であり多数派工作が全てでは無くなること、次いで具体的な基地関連事件事故対策という「下からの積み上げ」であれば民主党内にも「政策連携可能な議員が存する」事、加えて、与党として原理主義的政策を掲げ、失敗すれば(村山社会党・家族会その他のように)反動が内部を揺さぶる事、これらを考えれば、今の社民の「移転・改定”努力”主張は」あまりに近視眼的な対応に思えます。
特に、社民現党首が(おそらく、外交・軍事政策以外の)入閣という交換条件は、村山首相の縮小再生産となる「第二の毒饅頭」となる可能性が多分にあります。
閣僚に顔を連ねるも、看板に掲げた「移転・改定とも未達成、逆方向の追随すらあり」となれば、内部対立が表面化し、半分、在野政治運動団体に復古しつつある、共産・公明への道を辿るのではないか。
それが社民党にとり本意でないならば、「看板・キャッチ」は捨てて距離を取り、下から地味な実績(事件対処などで)を積む事を望みます。