まあ、ご覧いただいておわかりの通り、自分の思ったこと、感じたことを率直に書いていくスタンスなんだけど、最近、便利な言葉があるようで。
「上から目線」と言う言葉。
それでごちゃごちゃ隠れて言ってる方もいらっしゃるようだけど(笑)。
でも人間というのは一人一人異なる見解を持つ生き物で、書き方がいろいろあろうと、同じ目線かそれより下のように装って書いていようとも、なんらかの訴えたい言葉がある筈。それを述べる上では方法が違えども、ある意味押しつけることを目的としているもの。
逆説的に言えば、何の主観もないデータだけみたいのだろうか、と。ただ、そのデータですら質問方法によって主観が入る余地が十二分にあるということがあることも無視する。
ある意味、どういう体裁をとっていようとすべて言論というのは「上から目線」なのである、ということ。
それを批判するのであれば、言論を封じようという姿勢にすぎないのではないかと思う。
大事なのはその主張をどう考えるか、なのだけどもね。
どのような背景があるのかとか。
そんなことばかり配慮していると、機器貸し出しをしてくれるメーカーに遠慮した、少し昔あったオーディオ評のように、「通にこのまれる音」(=その音の傾向が好きな人しか相手にされない音質)のような、「置き換え用語」ばかりの論評で一見して何のことかわからない文章がまかり通っていくのだけど、そういう言論を望んでいるのだろうか、なんて思ってしまうのだけれども。
それより何より、上から目線批判自体、「上から目線」だというトートロジーじゃないのかな、とも。