TB – 東京すろーらいふ 岩佐爺があな批評してるぞ
なんかこのエントリーを拝見していたり、プレーオフL@Hを見ていると、日本の(地上波の)スポーツ中継が、画面もやかましいし、実況も無理に興奮を作り出そうとしていて二重にやかましく感じることを、改めて認識させられます。スポーツ自体に入り込む事を拒絶しているかのような中継に、小生は実況音声を無視して見ることも珍しくありません。ステレオ放送なら、外付けスピーカーの左+と右+を1本のスピーカーの+-にそれぞれ刺して、位相差を聞くことで実況音声を消すことも可能なんだが…(^^;
一方、アメリカのMLBの実況を思い出しました。2001年のワールドシリーズ(ARI-NYY) 7戦のビデオは、副音声で何回も見ました。画面にスコアがずっと上に出っぱなしで邪魔にならないというのもありますが、それ以上に注目したのは、優勝が決まった瞬間から5分以上、アナウンサー・解説共一切の発声を行わず、淡々と勝者と敗者を分かつように、歓声と一緒に放送し続けたこと。本当に歓声が一段落するまで、歓声以外に何も聞こえない。勝負の切なさと、歓喜とが延々流れ続ける…。
陳腐な言葉なんて必要ないです。それがスポーツです。それがスポーツを愛する環境でもあると思います。陳腐な「スポーツは文化」という言葉も、実況報道1つとっても不毛です。
いい加減、言葉の「安売り」、やめてくれませんかね>各局
# 10/12 虫取り
「日米実況の違い。」に2件のコメントがあります
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同感です。
テレビは「見える」わけですから、目の前で繰り広げられている一つ一つの
プレーに対しての逐一の実況は、極端に言えば全く必要無いとも言えますよね。
そうはいかないので、見ていることに関しての補足として実況と解説がある。
日本の野球中継は実況と解説がメインになっているような節があります。
実況・解説の音声が大きく、また喋り続けるため、球場の雰囲気というものが
伝わりづらい「モニター中継」に成り下がっています。
たまにまだマシなNHKで聞くと、やたらと応援団の鳴り物の音が大きく聞こえます。
そこで(あまり野球を見ない知人なんかが)気づくことも多いんです。
「鳴り物って凄いうるさいんだね」と。
如何に現在の日本の野球中継が、野球のプレー自体を、
野球場の雰囲気を伝えていないか、ということなんだと思いますね。
ある意味、野球そのものに対する興味をもたせないテレビ中継→野球そのものを見ない野球観戦→鳴り物応援やギミック(ゴム風船等)にばかり注力を注ぐ観戦形態、という関連性もあるような気がします。
鳴り物が鳴っているから「熱狂的」という訳じゃないんですけど、どうも一般の方はそうは思っていない。
表面的に、かつ即物的に数字を稼げればいい、という「もの」(テレビ・新聞)に頼りすぎているわれわれ、というのが根本的な問題かも知れません。