サイトをとめどもなく廻っていると、バウリンガルが2,800円で売られていました。そういえば2年ほど前にイグノーベル賞を受賞した、画期的な商品…だったはず。旧版の「たまごっち」と同じ運命か…と思いつつ、帰り道に考えていました。

記憶というのは、どうやって構成されるのだろうかと。自分の記憶で一番古いのは、3歳頃の時、自分の実家の前の公園の外周の道路で、自分なりに走っていて、盛大に前のめりにこけた記憶。画像で見事に覚えている。でも、実際にはどうやって記憶に入っているのだろう。恐らく時系列に覚えている理由は、その道路が4歳の時に舗装されたことが理由だろうなと。そう、その時道は舗装されていなかったから。

言ってしまえば、画像で覚えているといっても、240×160位のjpeg画像で記憶されていて、言葉で圧縮画像を補完しているような気がする。そう言えば、右横の家がどうだったかの記憶がなかったりする。当時は無かった筈なのに、壁が「後付」で付いている。

それ以降の記憶と言えば、新聞の見出しを覚えているとか、言語的に数字と合わせて記憶されていることが多いような気がする。つまり、それ以前の記憶が曖昧な理由は、数字ないし言語による記憶の体系化がされていないからではないか、と仮説を立てました。

実際、過去の記憶をたどる場合、少し時間が経てば、自分を思うに淡い映像しか出てきません。希に鮮明なものもありますが、やはりバイト数が多いためでしょうか(苦笑)、あまりそういう記憶はありません。実際にたどる時は言語的にたどっていることが多い事に気付きます。

そうすると、犬とか猫とかどうなんだろうと言えば、やはり数的な認識が弱いと思われるので、時系列的な物の考え方はしないんだろうと思いますが、犬であれば、実家の先代の犬は、「誰を」「どこに」「何してきて」という、目的語20~30種類、補語10種類、動詞10種類程度を組み合わせた命令を実行していました。今の犬は知ってか知らずか、そこまでは行きませんが、この程度の指示がわかる、というのはやはり犬とか猫とかの程度であれば、言葉は確実にあるんだろうと思います。あと、大きな数字を認識できれば、文化も出来てくるんだろうな、とか、いろんなことを考えた帰り道の話でした。

投稿者 wolfy