昨日の参院国土交通委員会。JR西の社長・専務取締役鉄道本部長の参考人招致。

しかし速度超過の常態化について、「そうは考えていない」。
過密ダイヤについては「より過密なところもある」。
日勤教育、安全対策の投資不足については「事故とは直接関係ない」。(毎日1)(毎日2

この発言にこそ憤る必要があるのに、オンライン各紙では放置状態。
そもそも安全対策の投資不足は、JRに関しては国鉄時代から関東偏重。
その責任を放置してきたのは現在の国交省。
過密ダイヤ、安全対策に関する指導責任を放置してきたのも国交省。
国交省の官僚の仕事って何だろうね?

しかも車両の安全対策は鉄道総研に投げる形になっているのに、情報は内部で隠し持つ。これを運輸省(当時)の認可の下、JRの安全性情報を隠しもたせている。

この構図が問題なのに、何故隠すのか。
JRと国交省は個人の責任に置き換えようとしているように見える。何のために?

TB – own JR西日本に対する「魔女狩り」2


#被害者のJRに対するTVを通した「なじり」に被害者宅に抗議が殺到しているという。自身の発言にはメディアの恣意性を含めて責任を取らなきゃいけないのは二重災害だと思うけど、どんなときでも公的発言と私的発言を使い分ける癖が必要だと思う。その点では申し訳ないけど、同情はしない。

#アメリカの殺人事件などで、TVに対して感情を抑えて話す人が多いのは、それとなくプレゼンテーションが必要な社会ではそれが求められているから、自然と出来ているのだろうと感じる。

#また、読売の記者の記者会見での「社長を出せ」で読売には1000本を越える抗議が殺到したといいます。刺したのが週刊誌ということから、単に読売叩きの構図かも知れませんが、それ以降意図的に全ての情報が小さくなったことも何か作為的に感じると言えば言いすぎなのでしょうか。イラクでの日本人拘束ニュースも、彼らには好都合だったのでしょうか…もしそうであれば。

#生活者の安寧より、ポピュリズム。市場主義の結果であるなら、市場が賢くなる必要がありますね。

投稿者 wolfy

「JR事故:集中審議を何故取り上げない?」に2件のコメントがあります
  1. プレゼンは、自分と判断力・価値観(言語・宗教観)・利害が異なる人間に
    いかに自分の主張を伝えるか、という技術です。

    従いまして、自分自身なり、自分が所属している利害共通集団の立場や視点を一度離れて、
    それでも説得力を持たせるにはどうするか?考えたり言葉を選ぶ訓練でもあります。

    戦争中でなくても宗教観や人種を巡って鋭い対立を常時抱えてきた
    アメリカ国内での行動様式は、

    自分の価値判断が「通常」「常識」という前提で、「日本人なら」
    他人には「配慮」「理解」を求めれば足りてきたのとは、

    特に意思伝達手段の訓練度合いにおいて、決定的に違いがあるでしょう。
    そろそろ、日本国内に居ても、
    変わらないことが前提の行動様式を変えていかなければならないのですが。

  2. >Teruさん

    その通りなのですが、同じ業界に長くいたりすると固定概念に嵌っていることに気づかない人も
    多数いるわけですよ。小生も]一時テンポラリとは言え、他業界にいましたので、非常に興味深い
    事がありましたし、そのせいで、話し方も多少変えることができましたしね。

    今後は「その部分は呑んでくれ」のような言い回しが減ることは確かなのですが、
    欧米式のこの種の言い回しが無いわけではないので、結局のところ(悪い意味での)戦争に
    負けた国であることを(実はアジアも一緒くたに)思い知らなければならないわけで、
    そのギャップに当分嵌りつづけて、しかも三国間で仲たがいするなんでアメリカの思う壺ですなと
    思ったりするわけですが。

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