試合を観たあと、考えたこと。残念に思ったこと。

By | 2022/03/14

先週末、仙台に行ってきました。

震災の起きたあとのゲームは、微妙な感覚にとらわれることが多いので、忌避しようかとも思っていたけれど、いろいろあって行きました。

ツアー決済した、と思っていたらできてなくて、急遽「おともでマイル」の連れを募集しての往復。

試合前に、セレモニー。
その前に、震災を受けた街だから「その街のために頑張る」というメッセージが流れる。そして、MCが勝つことに関して言及する。

直前に、震災に対して、コメントしないチームはどうだ、というやりとりも自分の見ているチームのファンにはあったのだけど、

「なにかあったチームとそれ以外の(直接言及しないにせよ)勧善懲悪的な扱い」には疑問をもっていて。ビジターは「引き立て役に過ぎないのか?」と思うことすらあって。
ただ、お客さんからそういう印象を受けることは全くないことはしっかり記しておきたい。

確かに震災はその地に経済と人命に多大な影響を与えたのは事実。ただ、「たったその2日前に立ち上げの記者会見をしたチーム」は、営業行為の半自粛状態になり、その会計年のみで、1.8億の予算に対し、7千万の赤字。結果的にその赤字が現在では前運営会社の重しになった。それも同じように被害ではある。結果的にその運営会社は消えた訳で。

また、COVID-19での死者数は昨日(2022/03/13)時点で認定されているだけで26,164人を数え、東日本のそれでの死者・行方不明・関連死の合計2万2千人を上回った。皆大変な目を同じようにしているのに、COVID-19の犠牲者には誰もこのように黙祷を捧げることもない。もちろんスペイン風邪の犠牲者に今も黙祷を捧げるなんてことはない。
さらには昨今のウクライナの事案がありながら、原発再稼働を安全性の強化の具体案も示さないまま、提示する人の声が大きくなる。

そういう不条理をどうしても感じてしまう。

1試合目の帰りに、とある仙台の関係者に声をかけられた。近くの球場で解説席にいたこともある方だ。アメリカンジョーク的なセンスなのだろうけど「(ハリセンで)叩くの、無駄だったでしょう?」と。
🐺「ええ、それを言ってしまえば、応援なんて結果に対しても無駄で、スポーツ自体も無駄。無駄を豊かに楽しむのが「ゆとり」。ゆとりを否定するのだから、スポーツは企業なりが金だけ出して、誰も見ないでも運営だけ大きくされればいいんだろう?」

と瞬時に思ったが、

「後半のFTを覚えてる?」みたいにだけ英語で返した。前半7/7、後半は12/19だったので。ただその2投目✕→オフェンスリバウンドから5点取られてはどうしようもないのは確かかもしれない。ただ、仙台でそういう言葉を聞くとは思わなかったので、正直、ホテルに帰ってから呆然とした。

ボランティアスタッフの方は相変わらず親切で、間違った説明もするのだけど、気持ちは寄り添ってくれて、ありがたくはあったのだけど、

こういう簡単なことで良いイメージが瓦解してしまうことがあるのだな、とは思った。

ホームに偏った日本のゲームの演出はともかく、それに乗せる一線の無いそうした「勝利」を求める公式のコメント、床を相手FTでわずかに揺らすマスコット。そうしたものはやっぱり好きにはなれない。
もっと書きたいことがあるが、あえてここでは言及しないけれど、公平とはなんだろう、機会均等とはなんだろう、エンタメとは何か、自分の定義を今一度考え直さざるを得なかった。
2日目の試合結果は一般的には「🐺には良いもの」と思うかもしれないが、そうではなかった。そうしたことの積み重ねで。

とても残念だった。

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