父と日本の医療。

By | 2014/09/18

これは、当家に起こった話。部分的に諸法規上などの問題があるので、改変していることについてはご容赦ください。
ただ、あなたの家にも起こるかも知れないこと。問題は、最後の方に書く部分のこと。
この国の医療は、そういう感じだ、と知っておくことは、決して損にはならない、と思います。

とある冬の日、某会場で、「いつ父が倒れるかもわからんし、いつまでこうできるかも分らんけど」と言った次の日、父が倒れて、意識が混沌としているという電話が入りました。
病院に行くと、脳梗塞であり、手術を実施するとのこと。
残念ながら、当日、薬剤注入と、近年承認を得たばかりのカテーテル手術を実施したもののの、再開通はしませんでした。
2度血栓をかきだしたが、大きすぎて取り切れなかったと。
恐らく心原性の粥状に硬化した血液が、血栓となって飛んだのだろうということでした。

その手術の直後に、父に自分の子供達を面会させました。
それまで一言も言葉は発しなかった父が、「しんどうない」(しんどくない)と大きな声で返事をしました。
こどもの力というのは、大きいものです。

その一言を聞いて、開頭しての治療をするか、温存するかの選択を迫られていたのですが、開頭して腫れる脳の圧力を逃がす手術をすることを決めます。
温存であれば、脳梗塞による浮腫ができ、その圧で脳が圧死してしまい、人としての機能はほぼ失われるとのこと。
開頭すれば、機能がかなり残る可能性はあるものの、後期高齢者である父には感染症の危険も伴う訳で。
倒れて初めて、糖尿病が強く、まともに治療も受けて居らず、そのため下肢の浮腫・痛みだったことも知りました。(糖尿病は感染症のリスク要因になる)

父は病院嫌いで、初めて自分で病院に行くと行ったのが30年前…そのときは脳出血でした。
小指の先くらいの出血範囲だったとは言え、3ヶ月びっちり早い段階からリハビリをし、その後も28年間仕事をしました。
そうだから、維持的に通院している疾患以外には、なかなか別の疾患の治療をまとも受けてくれませんでした。何度すすめても。
あまつさえ、毎日3合ほどの焼酎も飲んでいたといいます。。

リハビリ開始は重要だったものの、なかなか浮腫はひかず、簡単なものしか受けられないまま、急性期として入院したその病院から、回復期の他の病院に移ることになります。
要するにリハビリ病院で。回復期でのリハビリは、父のような脳血管疾患(重度)は最長でも180日と定められているとのこと。
毎日20分~40分、所謂1~2単位をほぼ毎日受けていました。

回復期病棟に入った際の脳のCT写真があります。

無題

写真右(実際には左脳)の灰色の濃くなった部分は、血流が遮断されて梗塞が完成した部分。
要するに左脳の外縁の2/3に渡り、ほぼ梗塞が完成した状態。
術医の技術の高さに感謝するしかないのだけれど、2日後に梗塞部位より遠位(心臓から見て遠い部分)に血流が戻っていることが確認されたとも聞きました。
だけれど、6時間血流が止まると、その部分の脳細胞はほぼ死んでしまうとのことで。
左脳の外縁にほぼ梗塞が完成ということは言語機能がほぼ失われた状態ということになります。
勿論、脳については解明されていない部分があるため、必ずしも言語機能が戻らない訳では無いとはいいますが。

問題は赤で囲んだ部分で、この部分が出血か膿かで医師間でも見解は分かれ、リハビリの本格的な開始が遅れることになりました。
正直なところ、後日CTの最撮影を依頼する書簡を送り、無理から実施していただき、縮小と膿であることが判断できたので、そこから本格的にリハビリを受けることが可能になりました。
倒れてから3ヶ月を過ぎたころでした。

正直右半身の機能はほぼ失われると思っており、事実、右側に顔を向けず左ばかり向くなどという状態で、栄養も胃瘻(腹部から胃へ穴をあけ、そこに直接流動食を流し込むもの。挿管での摂食より苦痛は少ないが、後に問題点も記載)から受ける状態。
しかしながら日に日に語彙も増えていき、5~8単語の文章として確認できる言葉を話すことが多くなります。
思い出せない言葉もあり、ストレスを感じている表情を見せることもありますが、語彙も日に日に増えました。
昔のことを突然言い始めたりするけれど、こうがんばってね、と言えば、そのことを忘れず理解できる位、脳の機能も戻り、

180日の期限の最後の1ヶ月では右側を向いて話をしたり、飲料(誤嚥防止にとろみをつけたもの)を渡したコップから飲めたり、スプーンを渡せば、自分で介護食もある程度食べられるまでになりました。
1度車いすに乗るリハビリでは、一度両足で立つこともあった。まあ、これは偶然で、父自身も驚いていたんですけどね(笑)。
ベッドの上で身体を動かすなども自発的にできるように。とは言え、所謂「要介護5」の状況。
とは言え元から体力はあり、握力も50kg以上あるような父でしたので、と言うこともあったのかも知れません。

その180日が迫ると、日本の平成に入っての医療改革では、厳しい選択しかなく、
・特別養護老人ホーム(特養) ・介護老人保険施設(老健) ・療養期病棟を持つ病院
から選択を迫られます。

老健は1箇所での長期滞在ができず、数ヶ月毎に動く必要があります。
特養は長期に滞在が可能。
療養期病棟を持つ病院も3ヶ月毎に(保険制度の問題で)転院しなければなりません。

また前者2者は「胃瘻」による摂取をしている患者の受け入れ枠が少ないという問題があります。
療養期病棟についても、どこの病院でも受け入れがある訳では無く、また胃瘻を行っている場合は経口での摂食を拒否しがち。
病院側は「そうしたければ自宅で介護すればいい」というのみですが、車いすに自主的に乗れない状況でバリアフリーでもない家では、介護自体難しい状況。
更には回復期ではリハビリが、「回復傾向にあると認められなければ」月13単位(4時間20分)しか認められません。

前者施設にはなかなか入れないことから、療養期病棟のある施設を選択することにならざるを得なかった訳ですが、リハビリが減ることに父自身が回復期の最後のリハビリの時に号泣するなどショックを受けており、また、経口摂食を楽しみにしているにも関わらず、それを誤嚥性肺炎のリスクから病院が認めてくれないのです。

これでは、父の「生活の質」が著しく下がるのですが、国の保険制度は日数でほぼ自動的にカットするのです。

また、医療費の負担も、1人両親と同居しているため、少々の収入があり、そのため、医療費自体は月7万円程度と低額なのですが、おむつなどの変動費の負担が大きく、実負担額が12万前後に及んでいます。これで最低水準の収入の方が入院できるのか心配になります。

実際回復期の病棟にいた同じく脳疾患の患者さんのお子さん(成人している)は、失職している状態だったようで、途中から病院への訪問を止め、そのため強制的に同病院内の療養型病床に移動させられました。本来は診療点数が減ってしまうのですが(全体の平均入院日数で、全てのベッドの診療報酬すら下がる場合もある)、道義上やむなくそうなっているようでした。その患者さんはどうなってしまうのでしょうか。

ちなみに、アメリカでは同様の未払いの入院患者を、ベッドごとホームレスなどの介助施設前に放置するケースすらあるようです(マイケル・ムーア監督の「Sicko」などに描写あり)。

医療の保険外の負担もよくわからない内容で負担せざるを得ないシステムになっており、リハビリや同じ施設での入院も半強制的に制限されます。
その中、父は今日も病床で、生きるための戦いをしているのです。

なってみて初めてわかることですが、なかなかに不条理を感じる日本の医療制度です。
そして、自分は、担当医の先生へ、今日書簡を送りました。
QOL(生活の質)を考えて、免責書面にサインしてもいいので、食事を口から1食でも、家族の手からだけでも、摂らせて欲しい、と。

(続く >「父と日本の医療(2) 2014/11/21」)

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