こどもに、こんな話を何回かしたことがあります。
「お金を稼ぎたかったら、自分が仕事をするかどうかより、人に仕事をしてもらう方が給料は上がるし、更にお金に仕事をしてもらえる仕事なら、もっと稼げる」と。
今、まああれやこれやで、人数が少ないから何でもやらなあかんとか、そんなんは仕方ないとこもあります。けど、それで出来てしまったら当たり前になるんで、安売りだったりもするし、本来は人員確保も仕事、ってことは「また別の話」とさせていただいて、今回は自分の経験から来る話。
小生が最初に会社に入社した時。
当時、その会社は急成長していましたので、結果として積極求人をした結果(こういう言い方をすると誤解を産むかもしれませんが)上司より、部下の方が大学のレベルが上、という現象が広範に見られました。で、しかも営業職でしたので、何が起きるかといえば、「論理的に説得ができないので、強権・慣習的に支配する」ということ。触法行為もまだ当時は普通にありました。
正直、大学入試は成功したとは言えなかった当方。大学入試自体が学問ではなくって、手段が目的化しているものだから、馬鹿げたものと思っていて、そのとおり行動した結果ではあったりして。それでも大学では成績は良かったり、就職した先でも、2桁後半いた社員のいわゆる「総代」のようにさせられたこともあって、ちょっと肩に力が入っていました。
そこで、先の強権的な支配体制とか、研修中の同期の不満を聞いたり、説明したことと異なることにいくつか気がついたので、本気で会社と交渉しようとしたりしました。
結果、配属時点で営業本部長とやり合ったりした結果「珍しいやつ」扱いされて、まあ面倒がられるわけですね。で、更に反抗するものだからタチが悪い。で、会社の上司も上司で、人の数を確保したいものだから、確保できずに残って欲しいときは接待され、状況が逆の時は暗に退職勧奨とか、理不尽な譴責をさせられそうになったこともありました。
例えば自動車運転での業務上での物損事故をした時に、定期会議で全員の前で反省文を読まされることを「その時から始めて」「次の他の人の事故の時には廃止されている」ようなこととか。恐ろしいことにその後、(今では考えられないですが)酒気帯びで事故を起こした人の対応どころか事故の事実すらは、営業所社員全員では共有されるようなことはなかったほど、対応が異なりました。
まあ、そんな調子で最後まできれいに反抗して、退職したわけです。
結果的に守ってくれる人は居なかったわけです。自分がしたことで利益を得ても、それはその人を守るだけの利益がその人達にはないのですから、まあ今考えれば当然のことで、自分も今考えれば退職するタイミングを失っていただけのことです。
1人でなんでもできる、と思っていただろうし、そうするには必要なことを知らなかったわけです。
その後に転職をし、今の職種についたわけですが、会社とクライアントという二重の上司の存在がある業務になりました
ただ、そのクライアントとのメールのやり取りも同報で公開される形だったので、何が起きてるかわかるわけです。そこで気づいたのは、結局のところ、クライアントの意思を配慮し、会社とも調整を取った上でどううまく進めるかという、短文にすれば簡単なことなのです。
が、何分、クライアントも無理筋要求をしていることもあるわけです。そこでしたことは「クライアントがその上司に説明できる理由をどう作るか」ということです。その上でそこでの交渉を前提とした要求をすると、ある程度通るようになってきます。
同様に仕事についても始めは全部受けていて、5人の業務で全体の4割をいきなり処理したりということもありましたが、それでは全体水準が上がらないわけで、後に、管理をした時に、自分は最低限の管理だけをして、課員のトラブルの予防と対処、およびその責任については自分が持つようにしました。課員には対応軒数の処理についてノルマ(必達目標)という形ではなく、区分分析をした上での単純な目標管理化して、できない場合、処理のアイデアを聞いてアドバイスをした上で、未達の場合の責任は自分が取り、対応と期限の提示を課員と合意の上行うようにしました。
その結果、自分の管理していた間、正直過剰な計画でしたが、課員の達成率も予想以上で、対応・処理スキルを得るのも速かったように思います。クライアントの評価も非常に良かったことがありました。
実際それらを通したり、その経験を持って転職することで、給与は上がっていくし、立場が良くなると、20代の頃と同じことを言っても、説得力が違う。でも、多分実際には同じことを言ってないのでしょう。
誰がどう動く必要があるか、その人達に動いてもらうために、また、動けるように、気付けるように言っているのだと。そこで同意なく上から言ったところでまず反発心が出るでしょうし、まず必要な根拠を述べて、簡単に課題を述べた上で、必要でかつ可能な対応をシンプルに提示するということなんだろうと思います。
この可能な対応、というのが重要で、できないことを言ったところで「できないものはできない」で終わるわけです。だから事情を察知しておくことが必要だったり。
ただ業務上だと、いる社員の理解力というは概ね一律なんですが、世間は広いので、一般社会だと、その個人個人の理解の仕方が異なることを、もう少し幅を持って考えないといけないのは、まだ当方にとっては課題だったりします。
結局のところ、誰のメンツも壊さないようにできる仕事は誰からも感謝されますよね、という単純なことなんですね。
それを「正義」は簡単に壊しますから。「正義」は立場によっていくつもあることは珍しくないのに。
それを知ったことが一番の経験、なのかもしれませんね。