まあ、2人も「ちび」がいれば、生活もごちゃごちゃになってくるのはすべからく、という感じもします。

昨日夜の話。
家事ってのは、まあ、どの奥さんにも苦痛の一つで。
楽しみっていう人は天職なんでしょうけれど、普通の仕事同様にそういうことってのはあまりなくて。
買い物してくりゃ、「ちびども」がぎゃーぎゃー言って、
どかどかって買い物置いてそのまんまになってることがあったりするかも知れません。

で、昨日探しものしていると、3週間くらい放置されているみかんが出てきたりする訳です。
あえて、信用しないといけないので、あまり干渉しないのですが、概ね全てがこんな調子。
「ちびども」がいるってのは、理由にはならないだろうしね。
こっちはそれでも外に出て行かないといけないし。
取引先には関係ないこと。

で、そんで「ちび(小)」に向かって、妻があんまり関心しないことを言った訳。
生き死にじゃないけどね。
あまり関心しないこと。
具体的には書かないですけどね。

子供を持つ、ということは、楽じゃないし、逆に子供を持たないことで豊かな生き方をする、ってこともまかり通る世の中。結果的に社会に責任を転嫁してるんだけど、当人達は気付かないふり。
でも、持っても、こんなんじゃどうだろうな、って思ってしまう。

たまたま、感情が高ぶったせいもあって、本心じゃないんだろうけど、あまり気持ちいいもんじゃなくて、2時寝の5時起きで、6時にオフィスで9時に空港。
ふつーのお母さん方に、こんなの普通かどうか聞いてみたいんですけど、
そういう訳にもいかないかな、と。

不安な気持ち。


(18;11追記)
参考:このblog、実は妻は毎日見ています…。

投稿者 wolfy

「子供に当たる、ということ。」に5件のコメントがあります
  1. ”片付けられない女”と言っても過言じゃないほど、私も家事下手です。
    日常に追われて、時間に追われて、毎日せかせかと生活してますが、これもまた・・・
    そういいながらPC前でこんなことしているわけですから、これをやめれば家事もはかどるんでしょうが(笑)
    まぁ、そうこういいながら過ぎていくのが”暮らし”ではないかと・・・
    ダメ?(;^_^A アセアセ・・・

  2. >りか☆さん
    コメントありがとうございます。
    私はどうしても母のイメージがあるので(というけで母は5歳から家事をさせられていたので、という話もありますが)、ちょっと緩いなあ、と思ってしまうんですよね。まあうちの父から言わせれば私も「あれ」なんですけどね…。

  3. 実際に「(私が)自殺するのかと待ってた」と母に言われたとき、ショックより、「やっぱこの人は他人だ」と思いましたが…。

  4. いずれにせよ、生き死にに関して簡単に言いすぎるような気がしますね。本気かどうかはともかく。

  5. 生き死にが普段の生活から遠く離れてしまったのが原因ぢゃないかなとは思ってますが…
    病院で知らないうちに死んでしまう、祖父祖母とか…
    飼えなくなってしまったペットとか…

    死に直面して生きていれば、そうそう死ねとは他人に言えないもんだと思う…そういう体験が減って(もしくは皆無になって)しまったのが、生き死にの現実感を減らして、ストレスなく言いやすくしちゃってるんぢゃないかと…

    死、という言葉で子供が何を想像するか…聞いてみたいような聞いてみたくないような…

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