今日は実家へ遊びに行ったのですが、何故かちび(大)の要求で、ちび(大)のお友達の幼稚園の運動会へ。ちび(大)は適応能力が高いらしく、初めて合う他の家の子供たちにもずっと会っているかのような挨拶をしていました。そして他の子と当然のように遊び始めます。
池の周りの折れている木の枝で、池の中のザリガニを引っかけようとして遊んでいたようですが、しまい目には他の子が枝を折り始めます。そろそろ怒って…と、他の子が折れた枝を「これ池の中捨てといたらええやんなあ」と言い始めます。コンクリートで囲って水を張って循環させているだけの池だったので、「そんなもんほうっといたら腐るだけたから、燃えるゴミ箱にほっとき」と言うと、理解してさっとゴミ箱を探しに行きました。行動からして、親がほっときっぱなしな感じでしたので、新鮮でした。
そう言えば、嫁が自分の幼稚園で、積み上げた椅子に登ろうとしていた子供に、崩れそうで危ないから降りなさいというと、言われた通りに降りていくのですが、普段、その子の親は、「危ないからやめなさい」程度しか説明しないと言います。しまいに「あの子の親が怒るからやめなさい」…。
一般的にキレやすい子供というのは、ストレスに対する適応行動が取れないこと、情緒の発達に欠けていることによると、学問上は判断されているようです。適応行動が取れないということは、現実の検討能力に欠けていること、つまりその経験が無いこと、あるいは整理されていないことによると言えるでしょう。
そういう点から、社会の「短絡化」にも繋がっているように見える「キレやすい子供」というのは、それらを親や社会が経験させ、子供なりに整理させていないから発生することとも言えるのではないかと思います。要するに親および社会の、子供に対する説明責任の回避によるものではないんじゃないかな、と、そういうことを思い起こさせる事象でした。
そういえば、自分が幼稚園時分からずっと、一番イヤだったことは、子供扱いされることでした。何でか、どうしてかを説明して欲しいということでした。それも子供の言葉ではなく、大人の言葉で説明して欲しかったことを思い出しました。単語の使用方法と、話す速度されクリアしてあげれば、自分の経験した限り、大概のお子さんは大人の言葉で理解できるということも事実だと思います。
こういう局面局面を見ていると、理解能力なく、キレる大人すら多いこの頃では、その前世代からの、忙しさで責任をごまかしてしまう社会ともダブってきます。この際、大人同士だけではなく、子供にも「説明責任」を果たしてみません?と思うのですが。