今日こんなblogをふとしたきっかけで知りました。あえてそのコミュニティーに踏み込みたくないし、彼女(彼)もそういうことは恐らくは望んではいないだろう。彼女はもういない訳だけど。だからリンクのみでTBは打たないことにしました。
仮にこのblogでそのような事が起こった場合、妻や子はどうするんだろう。
書くとしたら、何を書くんだろう、とふと考えました。
そうしなければ、こんなblogは時間の流れと同時に消え去り、本当にlogとしての性質を残すのみになるんだろうけどね。単純に忘れらさられるのみ。
妻はこんなものを書いてることを知っているし、妻と知人の1名かはパスワードまで知っている(ォィ)。だから何かするか、というのも違うような気がするし。結構そういう局面に来ると重い問題だなぁと。
人の生活を(結果的に)覗くということは、本来そういう重さを持っているんだなぁと再認識しました。
「とあるblogを見て、ふと想ったこと。」に2件のコメントがあります
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読んでみました
何も言えませんし
何も書けませんね
しんみりしました
>LOMO_LIFEさん
なんだか、安全とか安心とか、そういうことが当たり前になっていて、
人の生活というのもは本来は刹那の固まりであるということを、
普段は忘れ去っているのでしょう。
それは政治でも経済でも同じ事で、それを明らかにするような事象が
起きないと誰も予想すらしないようなことでしょうか。
そういう(最近では負と言われますが)刹那という点でも、(いわゆる)積極的な
意味でも、今をどうするかということが重要なんでしょうね。いちいち書くことでも
ないですけど。
妻はもしそういうことが起きた場合、知人も見ているので、例示したもの
よりは遙かに事務的なご挨拶を乗せるだろうと言っていました。