# 22:30 加筆
昔、関西でも「ミニFM」なる物が流行っていた頃をふと思い出しました。私がかかわっていたのは、1986~1994年位でしょうか。
当時はコミュニティFM等という物も無く、FM802なんてのもありませんでしたから、76~84MHz辺りはすかすかで、電波を出そうとするときに何も障害などありませんでした…いや、ありましたね、天満橋辺りに(苦笑)。当時郵政省管轄の…(以下略)。
当時の法規制は15μV/m2 (100m) ということで現行法の 500mV/m2 (3m)より強く、各局それを知ってか知らずか(苦笑)、大阪でも豊中・寝屋川・港/大正/西淀・堺・河内長野等で集中的に局がありました。うちでも10局位入りましたね。当時の「ラジカセ」でも結構FMの感度いいものもありましたからね。
まあ、好き勝手やってまして、深夜「番組」が終了すると、電話をつないだり、局長同士がしゃべったり、結構好き勝手なことをやっていましたね。で、つなぐときにハウリングさせるのが当然のようになっていました。
今考えると、勝手だったなとか思いますが、当時は自由って感じてましたね。各地域のネットのイベントで数十人が集まってくる様は、今の「広汎だ」と思われているインターネット上の「オフ」よりはよっぽど熱気があったと思います。年齢も近かったりしましたしね。
時代が変わって、「コミュニティFM」が出来る時に、各局に当局から「黄紙」が一斉配布され、神戸の局長さんが検挙された時に、一気に時代は閉局→終焉の方向に向かう訳です。局長の年齢も20代中盤が増えたこともありましたし、新しい人が余り出なかったこともありました。その黄紙、なぜかうちの局には何も来ませんでした。「その時」は憲法訴訟するって言ってたからかなぁ(苦笑)。ちなみにイタリアではそれで自由化になっちゃった「ろくでもない」国ですが(笑)。電波管理料なんて取る癖に、何もしない国もあるようですけども。
当時、年末から年越しで3時間位なんかやってたときに、知らない内に気付いたら、豊中とか港の方でも中継が入ったことがありましたっけ。懐かしい、おおらかな時代でしたね、あの頃は。
今は「インターネット放送局」もそうですし、webサイト自体、またはblogなんてのも一種そういう媒体ですが、みんなセグメント分けされ過ぎる位になっちゃましたね。良い意味でも悪い意味です。それが良いとも悪いとも、もちろんどちらでも無いのですけどもね。