なんか有事関連7法案が、上手く今回のイラクでの拘束事件で隠されちゃっています。けど、なんだか問題の多い法律のようです。
著作権法改定についても論議されているそうですが、当初は、アジアから逆輸入の安いCDの還流阻止と宣伝されていたのが、実は欧米からの直輸入CDも阻止するため法律であったことが、提出側の人間が告白したり、ということもありました。
憲法(これは理念法ですから、まあ、やむをえないこともあるのですが)、国家・国旗法の東京都での国会審議と異なる強制、また自衛隊問題でも、なんか政府の都合の良いように拡大解釈されるケースがある。まあ、靖国問題も事実上はそうですし、治安維持法だって拡大解釈を繰り返し、「あんなこと」になった。そういえば、戦前世代に聞くと「反対できない状況だった」と言いますが、恐らく今の世代もそういうことになってしまえば、そんなフザケタ言い訳をするんでしょうね。
何が問題かといえば、ここに記載があります。(これは正直「左」に寄った記載ですけど)問題になるのは、外国人や社会的弱者に対する具体的な救済措置を一切途中で削除してしまったことでしょう。関東大震災の時の朝鮮人迫害があれば、刑法上の規定が使えるでしょうが、差別的取り扱いをしても、日本国民は保護規定がありますが、外国人には記載がなく、保護する必要がないことになっています。
また、国民保護法案には、有事でないときから、有事に備える規定があり、
・地方自治体や、日銀、NHKなどに国民保護のための対策をとる部署を作り、職員を配置。
・政府の基本指針に基づき、上記団体が国民保護の為の計画を立てる。
・上記団体の長は計画を総理大臣(市などは知事)と協議の必要。
・この計画立案後、知事・市町村長は、「自衛官や教育官を含む」協議会に計画をはかる。
・政府は普段から、「措置の重要性」について啓発に努めるのが義務。
などなど。
国家・国旗法などの東京都の運用を考えても、過大解釈された場合の危険に対する措置がなんらないということも問題です。また国会答弁にどのようなものがあっても、上記運用を考えた場合、政府に有利に運用される可能性が高いと思います。
日本の法律が解釈による運用が行き過ぎていて、規定が明確になく、そのため、政権交代がなかったからこそ問題が無かったこともあるのですが、政権交代や恣意的な法律運用が続いている以上、ここは明確に規定のないことを国会答弁で関係者が語ったとしても、信用しない、というのが当然で、それなら条文に盛り込むべき、とするのが必然ではないでしょうか。
法の「運用」で行為を行う、というのは、人の権利を守るときに使われるべき言葉で、制限するとき使うべきものではない、と私は思います。
当然、この法律は必要でしょう。しかしながら作ってしまえば「運用」でどうにでもなる、しかも権利保護については明確でなく、権利を制約することにマージンの広い法律、というのは如何なものかと思います。
最後に、考えすぎかもしれませんけど。今の案では「有事のため」じゃなくて「有事を作り出す」ための法律ですね、こりゃ。
例えばCIAが上手く日本周辺に緊張関係を作っちゃえば、上手くすりゃ国家ごと作り変え可能じゃないですか、これじゃあ。そんなことするんだったら、日本の政治家なんていらないから、USに併合してもらったほうがマシです。直接国際政治を見て投票できるからね。
「有事関連7法案:きちんとした硬性法を。」に6件のコメントがあります
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結局…この道を歩むことになるんですかねぇ…
しかし、まったくもって…見事なタイミング…
どこまでが偶然なのか…
ある人にとっては必然、ある人にとっては呆然の成り行きにただただ唖然…。
韻踏んでる場合やないんですけど。
今日は妙に快調です(^^;
【有事ネタ】 で、なんで唐突に有事やねん?
邦人人質事件をきっかけにこのサイトを見てくださった方の中には、「なぜ突然に有事法制?」と思われている方もいると思うのですが、今度の人質事件とげんざい衆議院特別委員会で審議されている有事法制は、密接に繋がっていると思います。 (それは、政府定番のいわゆるムネ…
はじめまして☆
りんく貼っていただきありがとうございます。
「左に寄った記載」ですか?(^-^;・・・
もしよかったら、どの辺が偏ってるなあと感じられるか教えて下さるとうれしいです。
すっかり「自己責任」と「年金未納」で、こんなヤバイ法律が粛々と裏で通っちゃってますね。
やばいなあ。
あくまでも「現在の日本で一般的に見た場合」の記載として記載させていただきました。
非常に個人的な見解なのですが、現在、海外でのNGO活動やいわゆる市民運動と命ぜられるものは、「左」寄りの方に偏重しているという感じがします。またなぜか「右」の方が、イラクやアフガンでのNGO活動を積極的に、という話も聞きません。
おそらくNGOと「左派的活動」、および自衛隊撤退を求める「平和運動」が一連の動きに見られてしまうことが、「自己責任」問題の背景にあったのも確かでしょう。
このような活動を文字の意味として「リベラル」に捕らえると、このような政治の動きを離れた活動にどのように持っていくのか、ということが重要ですね。少なくとも今回のデモのプラカードの文字が、某党の事務所のポスターに使われる特有の字体と同じだと、「ああ、あれか」と思われるなんて、中にいる人は気づかないでしょう。
活動はどのように中立無色でやるか、というのは非常に重要で、その意味で、3人の家族の方の最初の会見の発言は慎重であって欲しかった、という意味で「軽率」と私はコメントしました。
実際、その通りの流れになってしまいました。
そういう意味で自分の発言が一元的でないか、ということは常に考える必要があるなあ、と思っています。
なんか散文になりましたが、意図するところがご理解いただければ幸いなのですが。
今後ともよろしくお願いします>hanaさん
こういう正確なので、「右」からも「左」からも(ここで記載しているカギカッコは「世間の認識で」という意味です)攻撃対象になりやすい小生です。