今日は実家近くの公園でちび(大)と自転車練習。相変わらず上手くない。まあ、それはそれ。周りを見てみると、いろんな変化に気付く。30年位前に建った建て売り住宅の1軒が改築のため外装を壊されていたり、今は亡き地銀の偉いサンだった人の家も売られて、家を壊して再築されている。まあまあ大きい家。

でも全ての戸に雨戸がはめられている、ちょっと前まで、この辺は、車を降りたところに財布を落としていても、翌朝そのままあるような地域だったのに、そこまでする必要がどこにあるんだろうか、と思ったりする。

変な自己責任の過剰な世界。隣人を信用できなくなった社会。
それを誰が産んでしまったのだろうか。

そう言えば、昔は近くの人がみんなで落として、勝手に食べていた銀杏も、今年は特に豊作だったのに、そのまま熟れて気になったまま腐ろうとしているものも多い。足下にもたくさん落ちている。でも誰も掃除をする訳でもない。

昔は夜に唐突に業者が来て、ゆさぶり落としていたのもよくあっただんだけど、それもないし、自治会で始末もしない。

何がそうさせたんだろうと思う。

自己責任とは本当の自己責任なんだろうか。
隣人の事を考えられない地域が社会として成立しうるものであろうか。

その地域を住みにくくしているのは、社会の流れのせいにしているおのおの自分自身にあるんだろうなぁ、と感じた夕暮れの一時。


…そんな中、草むらから猫が一匹、こっちを見ていました。

投稿者 wolfy