奈良の誘拐殺人事件の容疑者(まず犯人でしょうね)逮捕を耳にして、事件の被害者のその関連の方への想い等もありますけど、ここで改めて述べても仕方がないので申し訳ないけれど省略させていただくとして。その報道の流れを観ていて感じたことをつらつらと。
1.警察の記者クラブを通しての公表が恣意的過ぎた。
一時期、携帯電話での通信記録があるなど、部分的に容疑者が追いつめることができるかのような断片的な報道が流れていたが、逆に冷静に考えればこれらの情報を小出しにすることは、容疑者をこれらの情報から絞り切れていないとの印象を小生は受けていました。まずい事にならなければ、と思っていましたが、結果として16日に再度メールを犯人が流すなど、地域の不安を煽る結果になっていたように見えました。結局、今の報道の流れから言えば、過去の犯歴から容疑者を絞り洗った結果、逮捕に繋がったのではないかと思います。これは警察の捜査を褒めるべきではありますが、この地域の住民数が多くないであろう事(犯歴が持つ者の数を含む)も影響したこともありましょうから、もっと人口の多い区域であれば、犯人を特定が難しく、逮捕出来ない可能性もあったのではないか、という「結果論」の一つとも言えるように思います。
その点からも、捜査情報の断片的な、意図を持った公開が、必ずしも警察の意図の通りに動くとは限らないことと、それをそのまま流すメディアにはある意味猛省すべきことではないか、と思います。
2.携帯電話は子供の捕捉には不向き
結果的に携帯を子供の安全のために持たせると言っても、今回で数Kmの範囲でしか絞れない事が明白になりました。ある意味PHSの方がもっと小さい範囲での情報が取れるという点では安心かも知れません。できれば鞄の目に付かない場所に入れておくのが一番妥当な方法で、通話のために持たせるのはどうか、ということも明白にしてしまいました。
3.今回も犯人は犯行の罪悪感がなかった。
1で挙げた件にもつながりますが、犯行後の容疑者の発言などからも犯行に関する罪悪感が感じられず、そう言う点からも捜査中の案件の情報のリークについては、より慎重に行う必要が出てくるにもかかわらず、旧態依然の考え方で記者クラブを使うのは、およしになった方がよいのでは?と思いました。
4.そして、「再逮捕」の人権侵害を平気で告げるマスコミ。
本日の被疑者の逮捕について、「誘拐」名目で逮捕した訳ですが、メディアはこの後、殺人容疑などで「再逮捕を行う」見込みと平気で伝えるというのはどうかと思います。再逮捕とは、容疑者の拘留期限が2週間と決まっているにもかかわらず、他の犯罪を根拠に、さらに2週間継続して拘留を延長することが可能というものです。これが何度でも繰り返すことができる、と言うことが、逆に今回のようなケースでは、審理の開始を遅らせるでしょうし、またこのような拘留期間の延長は、アムネスティインターナショナルからは人権侵害と指摘を受けている事項であるように、諸外国(アメリカでは48時間で延長不可)と比較しても「長いは、延長無制限だわ」と自白を強要される可能性もありますし、調書作成も効率的な質問すら出来てはいないのでしょう。早急な改善が必要な事項と思います。
いずれにせよ、そのニュースを誰が、どのような目的で、発言したことを根拠にしているのか、ということを無視すると見誤りますから、留意することは必要だと思います。事件によっては(今回は違うでしょうが、今回なら被害者のランドセルや携帯電話が出てきたと報道されたような事を)匂わせるなどで、結果的に事実とことなる発表をし、ぬれぎぬを着せたようなこともありました。その辺はよく考えて聞く癖をつける必要があるように思います。
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