地方分権の一本のみの主張で、本質的な教育、財政発動の方向性、安全保障、社会保障などについての差異が国政の本質のみで、それを指摘されて逆ギレするというのは、総裁候補にはなり得ないですよね。本音を隠しているとしか思えない。
宮崎県知事選に出たのも、実は参議院選の慣らし運転だったという話もある位で、この2週間の国政への変わり身の速さと合わせ、疑問に思っています。彼がたった2年で宮崎県知事の座を放り出すことになるその意味があまりにも軽い。
しかも(同翼側の)保守系のテレビ局でこういう議論展開をするのは、やはり底が浅い。そういう印象を受けます。
それとも「ヤス」の尾でも踏んだか…。
本当のアカウンタビリティ(説明責任)というのは、その政策、予算執行に関する説明責任で、つまらない政治資金に関する手順の説明責任ではない訳で、政策と関係ない末節のことでごちゃごちゃやっているのもどうかと思う。そういうことは「透明性」さえあればよく、資金の流れが見えれば、上限なんてどうでもいい。そうすれば自明になることだと思う。
近藤基彦農水副大臣の大臣規範違反の問題も同じ。問題自体は報酬を返せば終わり、ではないが、追求してどうなる問題でもないのだけどね。
この問題が報道されない問題はまた別の恣意性として問題視する必要はあるけれど。(事実だけ報道されれば良い。「逆」もまた真)
この国の経済情勢を人質に取って、無縁のことでぐずぐずやっている内は、政治家もメディアも本質を隠す理由があるのだろうと思わずにはおれないし、
昨日の19時~21時54分のフジの番組も、上手くいろいろすり替えが行われていた。政府の「ばらまき政策の広報番組」になっていたしね。実際にはお金がばらまかれるのは大手家電量販店、家電メーカー、自動車メーカーに対してで、私たちに対してじゃない。景気対策で実施しているのに、環境対策だけにすり替えてしまう。
なにをそんなに焦っているのやら。