核搭載艦船の日本への寄港について、日米間で密約が交わされていたかどうかを巡る問題で、今日の毎日新聞にこんな記事。

米核持ち込み:密約文書引き継ぐ 村田元次官が証言

1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。(村田氏は28日夜、毎日新聞の取材に「密約があるらしいということは耳に入っていたが、日本側の紙を見たのは事務次官になったときが初めて」と証言した。日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。

村田氏によると、密約は「外務省で使う普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。

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この密約は81年5月、毎日新聞がライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言を報じて発覚したが、日本政府はその後も「米側から事前協議がない以上、核持ち込みはなかったと考え、改めて照会はしない」と密約の存在を否定し続けている。

村田氏は (snip) 密約に関しては「冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば、機密もあっての話だからとがめだてする話でもない」と存在を認めるよう求めた。さらに、非核三原則で禁じた「持ち込み」の中に核搭載艦船の寄港や領海通過を含めたことは「ナンセンスだ」として見直しを主張している。(snip)

以前書いた領海を5海峡で「3海里」とした問題も、一般の報道は中曽根康弘氏が「そんな訳はない」とした一言で一端収束していましたが、今度は東京新聞系から毎日新聞に移行して続く形となりましたが、それについてどのように続いていくのか。

また、どうせテレビでは黙殺が続くのでしょうけれど。

ただ、The Journal辺りでの、この国の国会で国防などの問題に関して「秘密会」が開催されないことについての指摘が、この件についての問題点のように感じます。結局「一党に偏り続けた政権」とそれを上手く操縦しようとする高級官僚サイドが、国民のあずかり知らぬ場所でこうした密約や取り決めをいろいろ張り巡らせているのではないか、というのが本質のように感じます。

国会で議論されれば、例え国会でしか公開されなくとも、彼らは法律で国民の代表と定義されている以上、問題は無いはずで、それを一部の人だけの意思で決める権利は無いはず。少なくとも、アメリカでは機密文書でも60年経てば公開されるのですが、それも手書きの非公式の封書1通で引き継ぎが成されるなんて、まるで「何かの組」のよう。

そういう形態はぼちぼち止めるべきなんじゃないかな、と思うのですが、ずるずる引きずってしまった。例えそれが崩れることによって少々の停滞が起こるのだとしても、そんな「ツケの代価」を払っていくべきではないのか、と思うのですけどね。

0629mi

投稿者 wolfy

「毎日:「密約、文書で引き継ぐ」」に2件のコメントがあります
  1. 丁度、軍事同盟とは同床異夢ではとの
    問題提起を行った”公共”放送局ですが、
    特集1回目が、特に政治的争いのネタにされたため、
    放送局にしては珍しく、丸投げでは無い製作過程に言及しています。
    http://www.nhk.or.jp/japan/asia/index.html

    その中で、取材地を絞り込んだ理由付けに、
    「日本内地の行政文書は、太平洋戦争の終結直前に多くが焼却」
    しかし、「台湾の国史館台湾文献館に「台湾総督府文書」が保存」
    「イギリスやフランスは台湾に領事館をおいていましたが、
    そこから本国に送られた膨大な報告書からも当時の日本の姿が浮き彫りに」
    と言及しています。

    この特集放送直前に、
    「旧軍の銃弾と思われる金属片」を複数回送りつけられるという、
    まるで「何かの組」のような威力による威圧を受けた局が、
    番組製作過程説明で応えるというのは、
    まさに「ツケの代価」を払っていく方法論形成の過程なのか、と。

  2. >Teruさん

    今の「右系」の方のこの種の「殺到」ぶりは、昔テレビで単純に「北朝鮮」と言ってはいけなかった時代(「朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮」と呼んでいました)の総連系の方とか、宗教系の方のヒステリックさと実は値が同じのように小生には見えます。

    だから逆に「左系」の集会などについても、自分達と同じ経緯で集めていても、その集め方に非難を集中させ、本質を見えなくさせる。何を訴えているかではなくて、方法論のみで批判する…

    まあ、いわゆる全体主義がどうやって生まれたか、を思い起こす必要があるんじゃないかと思いますね。

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