民主 54、推薦無所属 1: 55
自民 38、公明 23: 61
共産 8、ネット 2、そのほか無所属 1
民主党は歴史的大勝をしたと言っても、大田区で公明の4倍近い得票を得ながら票割りに失敗し、公明と同じ2議席にとどまるなど、地滑り的得票を得ながら、完全にそれを形には出来ず、中選挙区制の難しさも示した形。それは共産にも現れ、結果的に議席配分が共産→民主の変更となった選挙区も数カ所あり、埋没した形に。まあ、「あちら」の票割りの完璧さは、別の意味(支持者以外への広がり)という点を示したと言うことでもあるだけど、もう少し投票率が伸びないと彼らが驚くことにはならなかったということでもあるわけで。
選挙結果のポイントとしては、
・民主第一党 ・与党過半数割れ
という2つのポイントが上げられたのだけど、なぜか野党過半数を上げるケースが無かったのは、民主は推薦を含め64人の候補しかおらず、共産とも共闘をしていなかったのでこの2党で過半数を得ても意味がないと思われていたのか、共産がキャスティングボードを握ることに焦点が集まるのがいやだったのか(実際ウェブ上ですらごく一部のメディアしか述べていなかった)それの指摘を行なうものがいなかった。それが「奏功」した形に。実際野党というくくりで過半数を取るためには共産が10議席を取ることが必須だったのだからね。
実際国政には影響しないと言っても、結局争点云々より国政の影響がまるまる地方自治に影響していて、それは都民が今回の争点を知っていたのかということを含めて微妙な問題。奈良市長選でも、政党マターが自治マターを上回っての結果であることが読み取れる。逆に民主党はだからこそ、89年の都議選・参院選の過剰な勝利がその後の大低調に結びついた社会党のことを考えると、(今回は得票数ともリンクしているとは言え)本当に勝って兜の緒を締める状況としか言えない。政治は4年では終わらないのだから。
とはいえ、民主ーネット、民主ー共産、自民-公明、いずれでも過半数を超えない状況はある意味民主主義的とも言え、東京でしか許されない「新銀行東京で1000億を溝に捨てる」ような行為はどちらにせよ無くなるだろう、ということだけは明確に言えそうで、その点に於いては良い判断をしたと言えるのかも知れないとは感じます。
あともう一つの安堵は某政党が全く得票が取れなかったこと。衆院選で供託金で10億程度かかると言われているこの政党の供託金の行方を気にしたいと思います。
これで延命策をどうとるかということになるんだけど、国政で地方自治を犠牲にしていくことをあと2ヶ月半つづけるつもりか、それを見守る必要はあるのでしょうね。
国民の選択がまさにそこにしかない状況ですから。
そもそも、ねじれ国会下でも京都市長選へ与「野」党相乗りに踏み切っていた時点で、国政「野」党第一党のマークでもある二重の集合円は、実は対米・対多国籍企業政策という焦点で、現与党と重なり合っているのではないかと思っていました。この二党間で起き得るのは、(いわゆる55年体制なら、総裁選あたりの次元であり)政権「担当者」交代であって、政権「方針」交代足りうるのかと。
そう捉えるならば、先の京都市長選挙が、国会数合わせ至上による、「選択権」なき立候補布陣自体を(あくまで地方政界のみ出馬するという市議による、異例の辞職立候補により)問う構図でもあった点を踏まえ、(行政権と親和性大の)組織依存選挙自体を、(新得権目当てに、立ち位置だけ)変えるのではなく、「動かす」選択を熟考する必要があると考えています。
加えて、かつての真理党を思い出させる、どこぞの政治部門のCMに至っては、顔と口調は柔らか目ながら、経済に「小さく」軍事に「大きい」方針を示していた点は、経済ショックの震源地となった二世政権との相似形を、やはり留意すべきでしょう。