高福祉が競争力を高めるか、低福祉が競争力を高めるか。

低福祉が競争力を高めるというのは、租税負担が低いので、企業誘致が出来、職が増えたり、資金循環が起るという主張。
ただ、循環は起るのか?内部留保ばかり増えているけれど。
職が増えるのか?低賃金労働ばかりで、生産は海外にアウトソース。

高福祉が競争力を高めるというのは、セカンドチャンスを増やすというシステム。
ただ企業誘致ができるのか、という問題はあるが、教育システムが高ければいいし、競争からこぼれた人を救えるシステムがあればいいという話。

ただ…

この国の人達の固定概念を考えて見ると…

・高校を出て30代、40代で大学に入り直した人の再就職に寛容か。
・ただでさえ業種を変えた場合35歳以降、役職者でも45歳以上の再就職が容易かどうか。
・非正規ですら、40代以上の再就職は困難なのに、システムがあってもやり直しが可能か?(給付を貰いっぱなしが多い)

要するに不寛容が妨げるものが多い。
この背景には未だに

・大企業に入ったら生涯安泰(どこが?必ずしも言えないよね)

のような暗に自分達が持っている旧くなった評価のものさしで考えていることが、どちらのケースでも問題を起こすのでは、と思ってしまう訳で。

日本は宗教的にそういう考えなのかどうか
終身雇用制と日本の文化
に記載があるのは、
・中国や台湾にはそのような考え方は無く
・日本の終身雇用の発想は戦後そうなったに過ぎない(1920年以前にはその発想も無かった)
と否定的。
さらには年功序列というのも、どうも戦後起った考え方のようだ。
それはそうか。教育にお金が必要になったり、婚姻にもそうなれば、資金需要に坂が出来るけれども、無ければほとんど変化は無いから。

つまり高等教育を無料にしたりすれば、年齢だけによる給与はフラットで良い筈なのであるけど、そうはしない訳で。給食や修学旅行費用だって無料でも良いはずで(実際中2では公立でも15万前後/年の費用がかかる)、それを含めて学校が人材の基礎育成レベルを上げることとして租税で運営されれば良く、それが国の競争力を上げる。なのにそこをお金を取る仕組みを作っているからややこしい訳で。年金のように、租税とは別に戦費として調達したかったので、25年以上掛けないと払われないシステムにしたように、取るための口実としてのシステム設計をする。それは整合性がとれないよねと。

そんなフラット化に対応した負担システムを拒否することの意味がわからないと共に、私達は戦後持ったそのような固定概念も放棄すべきではないのか、という気がするのですね。

それは低負担であっても、ある程度の教育への投資をすること、それを社会で保護することは、競争力に繋がるわけだし、そこでの固定概念が世代間の格差を増す可能性がある、ということを、もう少し考えるべきではないか、と思うのですよね。

投稿者 wolfy