スポーツビジネスでも一般のビジネスでも、なんでも同じと考えてもらっていいんですが、ふと忘れがちになる、「余裕のある人」の考え方を「余裕のない人」はわからないという話。思いついたの書いておきます。

自分も正直、公式には1年ほど仕事をしなかった時期があって、その間を本当にしんどくって、助けてくれると言っていた人が現実には助けてくれなかったり、ある意味いまでもその時のことを引きずっています。財務的にも。

今、世間様からは「いい」と言われる給与をもらっているとは思いますが、それでもこの業界のメーカー勤務に比べると全く違いますし、自分がこの年齢で予想した金額の60%位しか貰っていないと思います。基本、会社にたてつくので(笑)、そんなに貰えるはずもないってのは会社に入ってから実感した話ですが、またそれは別の話として。

で、最近ようやく、いろいろと考え方に余裕を持てる状況になり始めて(と借入金驚くほど多いですが(汗)、資産とかも含めて「持つ人」の考え方というのはこういうもんなんだろうなあとか思うようになりました。

例えば、市場で利益を出すということにはついては
・自分の「期待バイアス」を投げ捨てて、それでも8割程度以上の勝率を出せる兆候をつかむ
・手数料率を勘案する
・リスクヘッジのために1つではなく、2・3を対象とする

まず、余裕がない場合は
・そのお金が余裕資金ではないから、「期待バイアス」から抜け出せない
・余裕資金があったとしても、複数を対象をできない程度になりがち
・リスクヘッジの選択ができないので、all or nothing になりがち

一番大きいのは「自らの期待バイアス」で過剰評価をしてしまうことです。
極端な話、ゲームと思わないと無理で、そうなると自分がそうなって欲しい社会とか、会社収益などということとは無縁に考えなければなりません。

余談ですが、例えば、30%の利益が出せる状況があって「30%取れなかったことに固執してしまう」か、そのうち「10%の利ザヤをとってその事実で終わりとしてしまえる」かという違いのようなことです。損でも同じ。

例えば10%の損得で、3つに投資して、勝率が3/4に設定できれば、

全部勝つ確率:42.19% (+10%)
2つ勝ち、1つ負ける確率:42.19%(+3.33%)
1つ勝ち、2つ負ける確率:14.06%(-3.33%)
全部負ける確率:1.56%(-10%)

2連続してマイナスになる確率は2.44%しかありません。
2連続してプラスになる確率は85.7%。
余裕資金で行う場合は、このように連続して「投資」することが可能です。
なお期待勝率はほぼ5.00%になります。

オールオアナッシングだと期待勝率は同じですが、マイナスになる可能性が25%もあって、そこで破たんするという次第。
さらに勝ったとしても次で同じことをすれば、トータルで43.75%が「負け」に。
すべてをつぎ込む勝負というのはリスクが大きいのです。

すると、面白いことに気づきます。市場に投資するということは、「大きな流れ」に従うということで、その流れがだれが作るのかといえば、「より大きい意思」つまり「お金を持つ人」です。ということはそこに民主主義の理屈など存在しては「困る」ということも理解できてきます。

そういう社会構造ではなく、「頑張れば成功する」「頑張っていないから成功しない」という二元論に陥るのが「余裕のない人」に対する一種「教育」です。

自分も得意なものとそうでないものがあります。FXみたいなものはむしろ自分の考えと逆張りした方が成績がよく、また時間の区切りもないから向いてないところがあります。
それを「頑張り」で片づけてしまうのは、「勝った人目線」であって、負けた人には違うフィールドを提供しないことが問題だ、とはそういう人はしません。そちらがむしろ問題の本質です。

金融社会だけではなく労働市場でも当たり前のように主張される「理由」。つまり、「余裕のない人たち」をそこに落とし込む考え方、それを「持つ人」が与えている理由とか背景が理解できない。

そんな問題があるのかな、とふと思いました。

投稿者 wolfy