今日、お葬式に参列しました。
改めてお葬式の一つ一つの言葉の中に、いろいろ矛盾を感じました。
死ぬということは、ある意味その直前の苦痛から(精神が別個にあるのだとすると)解放される、という言い方をすることがあります。
「もうつらいことはないから」「頑張ったね」と言います。
極楽や天国に行く、というのは、そのような解放を意味しているのだと思います。
一方で、
荼毘に付す前に、故人が好きだったものや、花を棺桶に入れます。
「いっぱいにしてあげてくださいね」のようなことを言います。
気持ちの問題というのは理解します。
でも、それは、人が肉体から離れても、物がついて回る、というのと同じことです。
戒名の長さもお金で決まるといいます。
金と物がついて回るのです。
中国のお葬式のように、あの世へもっていく紙幣を埋める方が、まだ現実的なのかもしれません。
ましてや、その花は、命を奪われた後も、その人から離れられないような考えです。
花もようやく、その精神が、物から離れられるのに、
人には振り回される。
不思議なことです。
かくして人は、自分たちの感情の元に、亡くなっても物や金から逃れられないのだなあ、と思うにつけ、
宗教の持つ、「欲」の概念とはなんだろうと改めて考えた一日でした。