右の話も書いたから、左も書きましょうか。
昔、もう15年くらい前になるか、民主青年同盟(言っちゃえば共産党の支持組織)の1人となんか署名みたいなの求められたのきっかけに、1時間位やり込めたことがある。このおっさん意地悪いでしょ(苦笑)。
結局腹立ったのは、「民主集中」というか当時あった「宮顕」氏の一種の独裁体制で、それについて延々と文句言って掘を埋めてたのね。あと選挙や選出の基準に「贈賄」や「縁故」のようなベクトルが入ってしまうと、「民主集中」の仕組み上大問題になるわけで、実際当時あった共産主義「と呼ばれていた」国は同じ問題を抱えていたわけ。実は日本も実態は「社会主義国」(護送船団方式なんか典型)と言って良かったので、同じ問題を抱えていたけど、誰も気付かないふりをしていただけというのが私の見解なんだけど。
結局、自分がゆだねるものを決めてしまえば、それ以外には批判っていう彼らの決まり切った口調が信じられなかった。というより本質的は政策論議というものが存在しているのか、彼らの話には全く感じられなかったんだよね。
そういう意味では右も左も同じだと思う。まあ、行き過ぎればナチズムみたいに「右」なんだけど「国家社会主義」って名乗ってたように同じとこに行き着くんだけどね。
また、日本の政党の議決にあたり、まず「党議拘束」ありきっていう姿勢も、実は問題なんじゃないかな?と思う。日本の国会議員って国民の代表なのか、政党の代表なのか、どっち?って基本的な根幹に係わってくる問題ですよね。個人に投票できるシステムを取っている以上、後者じゃ困ります。だからその手の批判を特に民主党にぶつける人がいますけど、いや、バーターで投票をクロスさせるなんて、米英の議会じゃあたり前のことで、それをさせないのなら個人歳費なんか支払う必要ありますか?って思うんですけど。
やっぱ日本って社会主義なんですね、と思ってしまいます。
「昔話:「民青」と1時間」に2件のコメントがあります
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御意。
破綻しつつある感はありますが、面白いシステムですよねぇ。
組み込まれている人たちにそういう意識を感じさせないって所でも色々学ぶべき所は多いかな、と思って興味深いです。
50年後、100年後、このシステムがどう変革しているんだろうとか考えるのも結構楽しいネタだったりしますねぃ。
日本の経済体制が現状の米欧中心で行くか、中韓・東南アとの連携で行くのか、と言う問題はあります。でも中国と組むと、日本以上に進むであろう急速な高齢化が、どう影響を及ぼすか、またその対策をどの程度先んじて打てるかが、国家間においても、ビジネスに於いても重要になってくると思います。
ただ、日本の変なプライドが、USを向き続けて、US以上に治安として不安定なUS型社会を形成する可能性が高いような気がしますね。