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昨日の補足。

2010/7/18, 日曜日 | コメントなし | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

昨日の口蹄疫に関する民間種牛の例外について。
東国原知事が読売新聞の17日付社説について自らのブログに書いた内容・見解は、自分が懸念しているポピュリズムそのものであると思う。

ここにその典型部分を引用すると

『(国の方針で決まった、殺処分を前提としたワクチン接種を余儀なくされた)他の農家と同様に公平に殺処分すべき・・・』
→公平というのか?平等というべきなのか? ならば、一体何を持って公平というのか?平等というのか?まぁ、その議論はまたの機会にするとして、公平というのなら、国が認めた県種雄牛との公平性はどうなるのか? 肥育牛、母牛、種豚等とのバランスは語られなくていいのか? 国がワクチン接種マニュアルで示している「同じ偶蹄類でも、ペットや動物園の展示動物等は対象外とされている。理由は、家畜では無いから・・・」この対応については公平か?

…公平で無ければ従う必要は無いのではないか、ということを逆説的に問うているとは言えないだろうか。

ルールがフェアでなければ、僕らは生きて行かなくていい、という議論を、この種の方は良くされる。

『国と県のぎくしゃくした関係も改める必要がある』
→全く、ご指摘の通りである。これまで、国(大臣)の傲慢・不遜・横暴・KYをぐっと堪え、我慢し、受け入れて来た。途中で爆発したら、それこそ『地域の防疫体制を主導すべき首長』として責任放棄・失格になってしまうと思ったからである。歴代大臣を始めとする国関係者、防疫対策員を始めとする県職員、発生農家さん、地元自治体、農業関連組織・団体、自衛隊、地域住民、県外からの応援の方々、ボランティアの方々、発生農家以外の農家さん、商工観光関係者、県民の皆様の生活等々・・・・・・全ての状況やバランス等を広角的に考慮し行動しなければならないのが『地域の防疫体制を主導すべき首長』である。

何も好き好んで国と『ぎくしゃくした関係』を求めているのではない。というか、国自体とはそんなにぎくしゃくした関係では無い。問題は僕と大臣だろう。

言うべきことは言い、協力すべきことは協力する。国と地方の関係は、これまでの「上下主従」ではなく「対等協力」の関係で無ければならないと考え、お互い信頼に足る関係を構築せんと、極めて誠心誠意行動しているつもりなのであるが、悉く、国(大臣)に裏切られ、約束を反故にされるのである。

大臣の言い方の問題は確かにあるように思うが、国と県が対等関係、という言葉にも注意する必要がある。この手順を事前に決めていないにも関わらず、その内容について、基本的には県の意見を丸呑みにしろ、ということは今回の感情的な彼の発言ではなかったのか。それは「上下従主」で「対等」ではないと思う。

口蹄疫:民間の種牛6頭処分問題での東国原知事「感情第一」の侮言。

2010/7/17, 土曜日 | コメントなし | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

宮崎県の口蹄疫問題で民間種牛6頭が殺処分され、周辺10kmの家畜の移動制限が明日0時に解除に。
ただこの東国原知事の感情優先の国を侮辱する発言は許しがたいものがあり、口蹄疫に関する問題を国民からマスクさせてしまう可能性があるんじゃないか、と懸念する。
いつまで感情第一で議論するのだろうか。

・民間の種牛は貴重である
・「官製」のスーパー種牛は特例で離島に移動させている
・種牛を育てるには数十年かかる

これらは確かにそうであるけれど、それであればこの国は畜産を守るべき事業として行ってきたのか。
はっきり言えばノーである。
それは畜産国である国に行けば判ること。

アメリカ入国時の通関の用紙にはこんな項目が2つあります。

・農場/飼育場/牧場に滞在したことがある
・家畜に近い場所(家畜を触ったり取り扱うなど)に滞在していたことがある

これに引っかかれば、別室で検査を受ける可能性があるということ。

その理由は検疫、特に口蹄疫予防に国を挙げているということ。

一方カナダに至ってはこう。

・農場に滞在していたことがありますか?あるいはカナダで農場へ行きますか?

その上カナダ入国時には1m程度の「濡れたカーペット」の上を歩かされるのを、行かれた方は記憶されてますでしょうか?それは口蹄疫対策で消毒を実際に強制されている、ということでもあります。

英国では1967年、2001年の口蹄疫被害の際には、軍隊を投入するなどしながら、発生した場所から周囲3km以内で殺処分にしています。

横浜市衛生研究所のサイトには、以下のような記載があります。

口てい疫(口蹄疫)から回復して、あるいは口蹄疫ワクチン接種済みで口蹄疫ウイルスに暴露しても発病しないで、生きている口蹄疫ウイルスが感染後28日以上経過しても咽頭部から分離できる場合に、その動物を口蹄疫ウイルスのキャリア(carrier)と呼びます。

家畜の牛が口蹄疫ウイルスのキャリアを持続する期間は通常6ヶ月を超えませんが、3年半に及ぶこともあります。家畜の水牛、羊、山羊が口蹄疫ウイルスのキャリアを持続する期間は通常数ヶ月を超えません。羊は9か月まで、山羊は4か月まで口蹄疫ウイルスを保持続けることがあるとされます。

(中略)

口蹄疫ウイルスに感染した集団において、口蹄疫ウイルスのキャリアの割合は、野生のアフリカ水牛では、50-70%に達することがあります。牛や羊では15-50%に達することがあります。豚においては、感染後3-4週間で口蹄疫ウイルスが排除されて、豚は口蹄疫ウイルスのキャリアにならないとする研究が多いです。

一旦感染した集団となってしまえば、経緯はどうあれ15~50%はキャリアになる、ということが重要です。

また、日本のブランド牛の単位当り価格が非常に高いこととが、1頭の価値を国際水準からすれば非常に高くしていることが事態をややこしくしており、そのため「例外での移動を認める」という事態を起こした理由とも言えます。が、本来この種のことは「起こすべきでない」ということは上のキャリアの比率からしても明確です。

加えて、もし複数箇所から移動させるというのであれば、交差汚染を避ける意味で、違う離島での環境を整備することが必須になります。
それをルール化しないと、どのレベルの種牛までを救うのか、またその集団がキャリア化してしまった場合の追加対策が複雑になるのは必須なので、そのような移動を認めることはできるだけ避ける必要があるのではないかと感じる事象です。

それを会見の際に(端的に切り出している可能性は…その場合は誰が何を求めて、ということも考える必要があるけれど)淡々とではなく国を感情的に批判する部分を出してしまう、ということに、口蹄疫対策に関する意識を軽んじさせないか、ということをきわめて重く感じてしまうのです。

逆説的に言えば、日本が口蹄疫の汚染国となって、日本からの畜産物を海外に出さないという選択肢もある訳ですが、そうしろと言わず、そのような特例を増やすことに言及する、それがなんだか恐ろしく感じます。特例を作って責任は国。しなければ口蹄疫の対策が遅れた(この責任は別の問題が多数ありますが)ことはさておき、殺した、ということで国の責任。それは違うんじゃないか、と自分は思います。

だって日本の空港で、駅で、湿ったマットを歩かせられたことなんて、一度もありませんし、この国が畜産を大事にしていない所作じゃないですか。
通関(検疫)の時にもそれは聴取項目ではありませんし。

ただ、今後は手順を定めることは大事でしょう。
ISO9001ですら、「手順を決めず対策出来ていること」は、「手順を決めて、遵守できていないこと」よりも「評価が低い」のですから。
その手順を東国原さん、あなたならどうされますか?なんて持論を聞きたいなあと思います。
感情的な批判は、何も産まないからこそ。

政権交代約半年。

2010/3/12, 金曜日 | コメントなし | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め), B2. 政治

政権が変わってから半年。
なんだか良くわからない状態が続いているし、本当に動いていることを伝えていない気もするし。

実際に予算議決権のある院の60%以上の議席を持っている政党が、大きな部分で連立の少数政党に譲りすぎている感があったり、民主党自身もオープンな筈が、どうも見えない部分が多い。これは小沢氏自身を首相にさせなかった問題とも絡んでいるので、そう単純な問題ではないと思うのだけれども、如何せんそれが引っかかる。

自民党も自民党で、2つに割れた方がいいんじゃないかと思う。
オープンな自民党と、旧態依然な自民党。
まあ、民主党も同じだけど。

ただこれが
新自由主義な自民党と、リベラルな自民党
保守な民主党と、社会福祉政策の民主党
と一致しないことも問題だという気がする。

でも、日本のように意見が違うといけない感が漂いすぎている「国民は実は全体主義政党を望んでいるのか」的な流れに自分は違和感を感じていることも確か。

どっちに転んでも劇的に良くはならないのだろうね。

少なくとも子ども手当を「子どものための手当」と勘違いしていて、子どもを持つ所帯に対して所得の再分配をするという制度なのに、費用を「子どものために使われるのか」と言って本質を理解させない議論をふっかけている様は本当に情けない。

そういう人が生活保護を受けている人が娯楽に金を使ったり、あるいは会社に金を巻き上げられているから支給を止めろ、と言ったのを聞いたことがない。

いつからこの国民はそこまで「性悪説」に立つようになったのか。
100%問題の無い(認めない)システムを求めるようになったのか。
何もしない、できない社会を自分達で求めているようにさえ思える、そんな社会自体をどうにかしないといけないんじゃないか。

問題を政治のせいだけにしてはいけないのではないか。
政治は自分達の社会の鏡ということを忘れてはいけないと思う。
煮え切らない責任者。
言葉だけ綺麗にする人達。
正にそのものだと思うのだけど。
どうだろう?

政治資金問題の出自の違い。

2010/1/16, 土曜日 | コメントなし | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め), B2. 政治

なんだか、すごく引っかかるのは…
今までの政治献金問題は贈賄側の資金の出所がおかしいと調べて出てきたということ。
要するに資金の収受に関する証拠があったということ。

今回の問題とされていることは、
土地購入に関する資金の出自から、
建設会社の下請けの、(贈賄なら法律に触れる行為なのに)何故かその情報の出自の人の個人名が出ることもなく「そう言った」という話だけで、
更にはそのお金が元請けの鹿島から出ている、「と言った」という情報だけで
鹿島も下請けも問題視されることなく
贈収賄ではないかと出す側の物証の問題を指摘できず…
なんだか不思議な感じ。
引っかけようとしてネタを探した結果?

しかも逮捕された石川容疑者が逮捕後今までの主張を替えたという報道について、同氏の弁護士はその事実はなく、検察の世論誘導を示唆する(TBS 報道特集)などということもありました。

また、警察の任意聴取に応じればいい、との見識を示す方は、一度ご自身が嫌疑をかけられて聴取されてみれば良いと思います。交通事故ですら、事実と違う主張を調書に書く警察官はいくらでもおりますし(修正させ倒した経験があります)、また交通違反に関する裁判や、警察官の業務中の交通事故裁判では、事実と異なる裁判での主張をするケースは珍しくありません。

そういうことを知らない、ということは幸せであるとも言えますが、「知らないことは罪」でもあると言います。
なんか違和感がたくさんある、今回の事象ですね。
そういえば二階さんも清和会でしたっけね…。

愛情あっての批判と、言論の質。

2009/12/15, 火曜日 | コメントなし | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

国を批判することを「非難」と捕らえ、愛国的ではないと考える。
そういう傾向を持つ人達が増えてきた。
というより「打たれ弱い」人達が増えた、ということでもあるのかなぁと。
だから「打たれ返す」ことが怖くて、「打たない」。

だけれども、だからこそ、「打たない」といけないこともある。
批判は改良するための方法論でもあるし、
それを拒絶することは進歩を止めることでもある。
ただ、この国の論説はいつからか批判すら止めようとする傾向が出ているように思う。
そこで言い合うことも時には必要だと思う。
殴り合っちゃいかんけども。

そこで産まれてくるものをいつの間にか放棄する世の中になった。
そして、批判の質も低くなった。
その後ろにあるものを読めなくなった。

ライトノベルを愛好する大人が増えたことと無縁ではないかも知れない、と思うことはある。単に楽しむならいいのだけれど、その単純すぎる構図を現実に当てはめる人達がいる。まあ、自分は小説を含めてほとんど読まない訳だけれど。現実の方がもっとシンプルで、その一方で繋がっている線はもっと複雑になり、面白いからなのだけど。

批判する側も批判するための批判になり、批判を批判する側も、同じ事が起こる。後ろにいる人達を考えたりはしない。そんな国での国会の論戦はまさに国民の縮図でしかなく、それを揶揄したところで、自分の立場が上がる訳でもない。

この国は不意打ちで軍部が事変という形で第2次大戦への一歩を始めたのだけれど、国会が承認した時点でそれは国民がそれを選んだ訳である、という事実を忘れてはいけない。つまりは戦争責任は国民全体にもあったということでもある。それが事実上の立憲君主制でありながら、議会制民主主義体制を取っていたこの国の法制度である訳だし。

そういう責任は今は更に自分を含めた国民全体にもある。

批判に何があるのかを考えることが、まずそんな状況を打開するための一歩にならないかと、そんなことを考える。

何が本当に「愛国的」なのか、というのは、その一歩になりうると思う。

Refer to -
Business Media 誠 (2009/12/15)
朝日新聞の“名物記者”は、こんな人たちと戦ってきた

東京新聞(2009/12/15)
東京大空襲訴訟 東京地裁判決『救済は国会の裁量』 被災者の賠償請求棄却

産経:羊頭狗肉。

2009/9/03, 木曜日 | コメント1件 | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

2009/9/1 産経の記事。

産経の見解。
標題:「民主党は、できない約束をした」 海外専門家の見方
海外の見解としての本文:政権交代が“日本買い”につながる可能性についても否定的な見方が支配的

実際の引用している海外アナリストの見解:
1.スイス・UBS:実質所得が増え、短期的に景気押し上げ効果をもたらす可能性があると認識している」と評価した。(ポジティブ)

2.NY大スターン経営大学院所長:民主党が実現できる範囲以上の約束をしたと指摘。「もし民主党が公約を十分に果たさず経済も低迷が続く場合、新政権の蜜月期は極めて短期間で終わる」(民主党が「公約を果たさず」「経済が低迷する場合」ネガティブ)

3.LGキャピタルマネジメント金融市場分析担当者「民主党の勝利が短期的にプラスの影響を与えると指摘する。”日本は再び海外投資家の注目の的になるかもしれない。…”」(ポジティブ

4.BNPパリバ為替ストラテジスト「民主党に大きな改革が可能との期待は強くなく、新政権がこれまでと違うのか不透明な点は多い」「日本再生への期待を背景とする楽観ムードが、相場を押し上げるとはみていない」(ニュートラル-押し下げるとも見ていない)

5.英スタンダード・チャータード銀行為替ストラテジスト「日本に対する投資家心理にはプラスだ。しかし、アジアやアジアの新興市場から流出した資金が日本に流入するわけではない」(限定的。ニュートラル

…という訳で、「できない約束をした」というのは5人の内1つの意見。政権交代だけが直接日本買いにつながるとしたのは2/5人。しかし、政策実行次第であるとしているのは5/5人。

つまり…前のエントリー「産経新聞が下野なう」を実行しているに過ぎないことを証明している。と言っても言い過ぎではないだろう、ってことですね。

産経:「産経新聞が初めて下野なう」

2009/9/02, 水曜日 | コメント2件 | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

産経社会部 on Twitter.
http://twitter.com/SankeiShakaibu/status/3651489549

社会部ってのがイタいね(^_^;

「ネット世論」に於いて明確になった「偏り」

2009/8/31, 月曜日 | コメント5件 | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

いわゆる「ネット世論」と今回の選挙結果の違いについて、言及しないといけないだろう。
2009/8/07-8/10に実施された「ニコニコ動画」の「ネット入口調査」の結果を示す。

おもしろいことに、「85万ユーザーを対象に行った」ニコニコ動画自身はこの結果を自サイトから削除している。

2009/8/12 日経 IT Pro
自民 38.7%, 民主 31.1%, 共産 6.0%, 公明 3.0%, 社民 1.5%, 国民 1.2%, 新党日本 1.0%, 改革 0.9%, 他 3.4%, 投票に行かない 13.3%

議席に振った結果
自民・公明:比例74, 選挙区248 = 322
0831n1

実際には、比例での得票率は民主42%, 自民 26%。
有意差を付けて、この「入口調査」結果が自民よりに偏っていることを示している訳。

実際に、自民寄りの主張の背景として、この調査結果を挙げる方はネット上(実人数の根拠はないが)目立っており、メディアの調査報道を「ねつ造」と決めつける記載が目立った。

確かにメディアは今回もどちらサイドから見ても指摘があったように「どちら方向にも」おかしく、争点の核心をぼかし続けていたように感じたのは確か。ただ、だからと言って匿名掲示板にあるように「ネット世論」が正しいということは証明されないことは自明であるし、結果から言っても、調査結果に於いては彼らが「マスゴミ」というそれの方が正しい訳だから、比較論で言えば「ゴミ以下」と決めつけてもいいくらいである。

ただ運営会社自体は上記記事中にもあるとおり「特徴的な結果が得られた」と記載している。
偏りがあることを流す側が認めている発言である。(大人の発言としての意味はそうなる)

実際、与えられたものが正しくないことに不満を持ち、別の一見正しそうに見える主張に魅入られる人は多いと思う。この国ではこの70年、それが「軍国日本」であったり、(実査には一部の人が参加したに過ぎない)「左翼過激派」であったり、カルト的な金銭欲求の強い「新興宗教」であったりする。でも、それらが根本的解決に今までなっていない、ということを示してはいないだろうか。

そしてそれらは、好むと好まざるに関わらず大きなうねりになっているグローバル化に反対する形で、欧州でも10年くらい前まではあった、EUに反対する流れでの「急進的極右政党」(フランスの国民戦線など)と変わらないということも示している。

それが本当に正しいのか、よく観察してほしい。
そして個別政策について常に正しいというものはないのだ、ということを考えてほしい。
そう思う。
そういう意味での「ネットへのしがみつき」は見苦しいし、実は自分の思考がないのだ、ということにもなる。

見たものに刺激を受けたなら、例えば逆の意味でその背景を考えてほしい。
その上で初めてものの比較が出来るのだと思う。
たとえば物を買う前に、バイイングポイントを5挙げるのは簡単だ。けれど、ネガティブポイントを5個考えて見てほしい。
そして比較対象の物でも、同じことをしてほしい。買わないことについても同じ。
その上で検討すれば、より精緻になるのだから。

受け売り意見は、もうゴメンにしよう。

是々非々。

2009/8/26, 水曜日 | コメントは受け付けていません。 | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

最近、mixi等で特定政党を同じ口調とか同じURL、口調で一方的に批判する人に対して、意図的に疑問や質問を投げかけたりしてみたりしている。彼らは、ニュースページから自分のページにリンクをしているので、議論になっても責任を取るべきと認識して、そういうことをされているのか、と思ってやってみたりしている。

結論から言うと、そういう人たちには自らを否定されない都合の良い論理を「仮借」…というより「丸呑み」して、自分たちが加害者ではない、という顔をしているように見える。でも民主主義の世の中では多かれ少なかれ、自分の行為について責任が存在する。それを誰かの論理を丸呑みしたり、引用のみにとどめたとしても、責任が生じるんじゃないだろうか。

その責任こそが、本当の責任であると思う。

日本人の前例主義、凡例主義、前任と同じことをしていればいいという考え方が、組織の硬直化や経済の停滞を呼んでいる側面はないのだろうか。それにより考えないことで、自らの責任を回避したつもりになっている。いや、それはどう考えても違うんじゃないか。必要な慣習と不必要な慣習があって、必要なもについてはその理由を考えることもいいことだと思うのではあるけれど。

考えること、批判されることで、人は考えて、逆に自分の考えをより深く構築していく。批判は人格批判ではなく、論理批判であるに過ぎない。それに対してシャットアウトすることでしか自分の「借り物の思想」が成立しないのであれば、それは都合の良い群れにしか過ぎない。その考えの違いこそが個性であり、だからこそ相乗的なものが生まれる余地があるんじゃないかと。

日本のネットがある意味、仲良しの「群れ」で構築されていて、そこにいると気持ち良い人たちだけが集まっているようにも見える。だからネット選挙が解禁されても、公的に非難・中傷合戦が全面に出てくるような気がして仕様がない。自分には、実際の面と向かいあっての関係を構築する道具としては、SNSですら、アメリカのそれと比べるとより多く違和感を感じてしまう。

自分から見れば概ね、そういうネット上の行動をする人というのは傾向があって、今の社会停滞に事実上自分も(どれだけ少ないにせよ)関与していながら、それを他責にすることによって自らの責任を回避する、そして考えることの責任を取りたくないので、ネット上の都合の良い論理にはまってしまい、それが自分の考えのようにして喧伝してしまう。更には引用なので責任はないとも。ソースさえあれば、それがすべて。情報を流すということには意志と意図がついて回るのに、それを考えてかみ砕くこともせず、批判して達観してしまう。いや、それは達観とは本来言わないのだけど。その背景を含めて考えることが大事なのだと思うのだけど、その思考も回避する。考えなければ責任が無いという教育の賜物のようだ。公式の論理は覚えず、公式だけ覚え、当てはめて、回答するのかのよう。

それは考える余地が無かったから、メディアがあおったから、第2次大戦に巻き込まれたとして自己責任ではない、と言い方をする戦争を経験した世代の方の考え方と共通するような気さえする。その翼賛選挙は干渉があったため微妙とは言え、その際ですら国民は普通選挙権があったと言う事実を忘れている。

教育のせい、外圧のせいにして、自分がどう動くかということがない。何をしようか、何をするかということがない。
それなら停滞するのは当たり前じゃないか。

考えることで前に進むんじゃないか。ならば是々非々の姿勢こそが重要なんじゃないか。だから選択肢に「完璧」などなく、「よりまし」な道を、常に僕らは選ばなきゃいけないんじゃないか、と思う。

彼らは、それについてすら考えることを拒絶するのだろうけれど。

兵庫8区で見ることのできる光景。

2009/8/14, 金曜日 | コメント1件 | 投稿区分 B. 重い話, B1. 雑談(重め)

おもしろいことがあるものですね。
冬柴さん支持者の皆さん、頑張ってください(^_^:

「奇っ怪ニッポン」@日刊ゲンダイ(2009/7/30)

(snip)
「有り難う」とサインすると、青年は次の科白(せりふ)を継ぎました。

「田中さん、知事時代に退職金を2回も、仰山(ぎょうさん)貰(もら)ったんでしょ。どうしてですか?」と。就任後2年目に不信任決議が可決して失職した際。その4年後に「ダム建設」を掲げる候補に敗退した際。都合2回です。

「退職金を減額する条例を出したんだ。だけど、そんなのパフォーマンスだと、自民党や公明党の県会議員が反発して、否決されちゃったんだよ」。答えると、2人は一瞬、黙り込み、「長野県の友達に電話で聞いてきます」と立ち去りました。

森永卓郎氏を委員長に発足した、公職者の待遇を再検討する委員会から、知事退職金と議員諸手当の減額を答申され、条例案を提出するも、その何(いず)れをも県議会は否決したのです。

「アマに何しに来たんやっ!」「康夫氏に罵声」「アウェーの洗礼」とサンケイスポーツ紙が報じた、尼崎市北西端に位置する市営西昆陽(にしこや)宮ノ北団地での遊説時にも、奇(く)しくも同様の質問を受けたのを想い出しました。

独居高齢者が数多く暮らすと聞いていた件(くだん)の団地で待ち構えていたのは、豈(あに)図らんや、働き盛りの年齢と思しき善男善女でした。更には、路地から路地へと遊説を続ける街宣車の後ろを、フィルムを貼った複数車が有り難くも“私設警護隊”で追尾して下さる展開に。

「よくぞ来てくれましたぁ」と信号待ちの交差点で幾度も握手を求められ、新党日本のパンフレットを手渡すと、その都度、大音量でクラクションを鳴らし続ける後続「警護」車両の“歓待”とも相俟(あいま)って、ニャンとも刺激的な“尼崎ドリーム”実現に向けての序盤戦です。

そのほか
サンスポ 2009/7/27