今回の政策上の論点に、国民に直接給付するか、企業などにお金を入れて間接的に給付するか、という点があります。
直接給付については「そのお金が経済成長に直接つながるのか」ということが定額給付金でも指摘がありましたが、4-6月期の成長率に対する効果を見る限り、(相乗効果はないが)同額の効果はあり、「1未満の係数の効果」しかない(0.9程度)と言われる公共事業に比べると有効な施策であることが証明されました。(同時に一律であれば投資的ではないことも)
また児童手当のように「子供へのお金をパチンコなどで使ってしまう」ということは、逆説的に言えば、公共事業投資など企業に対する公費投入について、「子供(国民)に使われない」ことについて言及しなければならないというトートロジーもあります。実際、この3ヶ月の国民の所得は減少しています。
皮肉を言うのであれば、消費されれば社会をお金が回るのであるので批判すべきではなく、どちらのケースでも貯蓄や内部留保に回されると経済に対して相乗効果を生まないことを指摘するべきだと思います。(これについてはそうしないと日本国債・米国債の買い支えの素地を弱くすることになるということもありますが、それを強くすることが「二重の搾取」になる可能性があるのではないか、と考えます)
国民への直接給付について、直接の現金給付とすべきか、現物給付(お金を国民に見えないように政府が支出すること=健保の保険分と同じ)とは、マクロ経済から見れば、全く違いはありません。
企業に給付するということは、企業の選別や、その企業からの被雇用者に対する給付という点で、利益を受ける人と受けない人の区分ができ、それが既得権益の受益者とそれ以外という、給付の差別(支持者は「区別」と言う)が発生します。
個人への給付に於いては、運用規定で区別しさえしなければ、一定のルールの下公平に給付されます。その点では国民全体が直接の「既得権益の受益者」になります。色はその間につきません。問題があるとすればルールの策定、それ自身です。
実際に子供手当に関しては2007年の小生エントリー(wolfys.net)に記載した通り、給付水準としてはおそらくフランスのそれを参考にしていると思います。また高等教育の無償化については、子育てが厳しくなる理由がそこにありますので、有効に働くと考えます。また、そのための負担であれば本来は問題が無いはずです。それは国としての成長は、個人の質(一人当たりGDP)とその数(人口)の積から決定されるのであって、人口を減少させる政策は本来(個人はともかく)国を「貧しくする(実際には見せる)」政策であるからです。その負担に言及していないことが、不信感につながっているのはある意味当然の帰結だと思います。
こう並べたように、直接給付と「企業給付」の違いは、既得権益者を国民全体にするのか、一部に限局するのかの違いでもあります。その給付に対する単純な構図自体に対する意見は、その個人の背景によっても認識を異にするものでしょう。
この構図を別の見方で記載されているエントリーがありましたので、TBを。
r271-635 “自民党と民主党のマニフェストから推測する社会の姿” (2009/8/1)