11/16付読売朝刊「明日を読む」から
社会学者の方(アルビン・トフラーさんだったように思いますが)の記事を読んでいて、興味深かったのは、「カメラ付携帯」を象徴的題材として使い、これにより特定の者に対し監視を行い、半ば脅迫するような社会が起こるのではないか、という点について記載しています。
個人的にサイトを持っているというのは以前記載しましたが、あえて名前を記載しませんが「某掲示板サイト」で半ば事実関係のない中傷をされて以来、私自身、ユーザ不信になり、更新する気力が失せてしまったということもありました。、それもある意味インターネットの「監視」社会化ではないかと思います。
また、最近の経済学に於いて、経済成長とその中での信頼感がどれだけあるか、というのが密接な関係を持っている、ということがクローズアップされている、という記載がありましたが、これは日本でも、経済、社会保障体制について信頼がくなっていることと、今の不景気の根本であることを見ても典型的と思います。
加えて、これらの「監視社会化」に関連して、隣人にも信頼感が無くなったらどうなるのか、と考えれば、超高度情報化社会の中で、アメリカのコミュニティと違い、「踏み越えてはいけない一線」が無い日本では、どのように進んでいくのか、不安とともに、考えていかなければならない問題であるとも感じました。
もちろんアメリカでも人種構成の変化に伴い、スタンダードが変化する可能性が非常にあり、この点は注視していく必要があるように思います。