# 1:17, 1:44 部分修正
 
「たかくん」さん:[小泉さんの靖国参拝]新規分
 
調べていると色んな事がわかってきました。戦後首相は基本的には「終戦記念日」には靖国神社参拝は行っていなかったようです。(しかし参拝は行っています)ただ、1975/8/15に三木武夫首相が参拝したときに、どういうわけだか「私人として参拝した」とコメントしたことに始まっているようです。(ちなみに隣接の無名戦士墓苑には「公人」で参拝)以降、メディアは公私区分をはっきりさせるようになったそう。
 
三木武夫という人は、ロッキード問題など汚職問題に取り組んだ人で、まあそれにより「三木降ろし」が起こった人でもあって、またしっかり「けじめ」もつける人で、「クリーン三木」として知られている人。徳島では反対語に「後藤田」という言葉もあったそう…郵便受に現金入り封筒が入るとかね(今は無いらしいけど)。
 
だからきっちり終戦記念日に公私区分をいろいろつけて、参拝を行った訳だけど、結果としていろいろ制約をつけ、物議をかもすことになったというのが正しい流れのようですね。その波及するものを予想していたかどうかは分からないですけどね。
 


靖国神社の問題については、終戦後存続した理由の一つに、マッカーサー氏がローマ使節団にお伺いを立てた結果、戦争に勝った負けたに係わらず、お互いを尊重すべきとして存続させたという事実があります。(詳細はこちら。ただし、記載内容は公式参拝に賛同するものであることをご留意下さい)
 
しかしながら、そのような経緯で残されたにも係わらず、「200万の未合祀者の合祀に関する国会の調査特別委員会」では、1955/7/4にこのような答弁が行われております。

「靖国神社に英霊を合祀することは、明治天皇の御沙汰により行なわれている。そうすると靖国神社は宗教といった意味は非常に少ないのではないか。宗教法人になる経緯は、米軍の占領直後であり、とりあえず宗教法人の枠に入れたが、そこに非常な疑問がある。すみやかに合祀するように方法を研究してもらいたい。」(堀内委員)
 
つまり合祀することを必然とするために、「宗教法人格を持っているが宗教ではない」こととしながら「明治天皇の御沙汰により行われている」とするような、合祀を適切にするための理由とその根拠が、「明治天皇の指示による」という、GHQ(および新憲法下では嫌われた)旧憲法的な解釈が併存している妙なことになっています。
 
また、靖国公式参拝賛成者が「靖国」を口にして死んだ仲間のため、というのも良く聞きます。しかし、旧憲法下で自由な教育や、末期には発言も自由に許されなかった中で「口にした」ことを理由にするのはいかがなものか、と思います。だってそのころの旧憲法末期の日本の言論統制は、あなたたち(公式参拝賛成者)が問題にする今の北朝鮮と、何か変わりがあるのでしょうか?
 
結局「靖国」も、GHQに庇護された理由を忘れ、帳尻を合わせたために残った、「過去の世代が放置したツケ」のようですね。きっちり宗教的要因を排除したり、政治的位置を中立にしなかったことのツケ。それをクリアにすることが重要に私には思われてなりません。それとも「あの人達」は、いつまでも「けじめ」をつけず、何かと一緒に巻き込みたいのでしょうか。

投稿者 wolfy

“靖国:公式・非公式分類の発端と、戦後残った理由。” に1件のフィードバックがあります
  1. 小泉首相:靖国参拝「中韓に理解を求める」

    日本独自の文化があるのだから、理解を求めていくということらしいですね。
     
    先述の通り、靖国が出来たのは明治になってのことですが…。
     
    文化:
    (1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。(大辞林より)
     
    あの、日本人の集団という点で、…

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