読売の本日付夕刊のヘッドラインにもなった記事によると、1999年の税制見直し時に、「金持ち優遇」との批判をかわすために「恒久的に」と言い行われていた定率減税を、2年かけ廃止するとの方針を、与党税制調査会が出したとのニュースですが、まあ、合意の経緯が腹立ちますね。
というのも、ここで景気対策もあり、3年かけてと言っていた公明党が、縮小・廃止で得られる財源を「高齢者向け予算」である基礎年金の国庫負担率を上げることに使うこと条件に、2年に短縮する方向に動いたこと。これが何を意味するのかといえば、この党はこの国が抱えている本質的な問題を分かっているのか、ということ。
ただでさえ、この国は、予算の48%、40兆円弱を高齢者対策のために使っており、少子化対策には4%未満の3兆円程しか支払っていないという事実。この偏在は、先進国中でも、顕著な高齢者への偏りで有ると言います。それに年金システム自体が崩壊しているのをごまかすために、増収分を使うことに、自公が同意したという事実でもあるのではないでしょうか。その責任を、若中年層に取らせる安易さ。
そして、少子化がもたらしている、社会構造の変化と今後の生産者世代の高負担。そして税の増収分をさらに高齢者対策に使うことにより、結果的に現在の生産層の可処分所得を減らすことによる少子化の進行ということを何も考えていない訳で。
高率で投票する層だけを向いた、社会を考えない「民主主義」。無論、高齢者層の方は社会的責任を果たしてきたのかも知れないし、受け取るべきものもあるのかも知れない。ただ、今の生活をしにくい社会を結果的に築いた責任。もうすぐ65歳を迎える「しつけを学校に押しつけた層」の責任は、自らお取りにならないでよいのか、と皮肉混じりに考えてしまうのです。
これが政治の怠慢でなければ、いったい何なのでしょうか。公明党は与党に参加していますが、消費税5%化の際の「商品券」など、なぜこれほどまでに小手先の対策に終始するのか、チェック機能という意味でも、本質的な政策をねじ曲げ、(表面上)人気取り対策をしているとしか、私には考えられないのです。
多分、関心も呼ばないまま、この改定がそのまま通ることがあれば、自公連立の内は、この国は決して良くならず、さらなる少子化が進行し、結果的に経済の疲弊を産むような気がするのですが。税制上、今行うべきことは、負担の公平を含めた財政健全化、および少子化対策。このような無意味な「特定財源化」は全く意味が無いし、方向性としてもいかがなものか、と思うのですが。
この国を滅ぼしたいなら、別ですが。
それとも、大量に移民を受け入れるか、いずれかでしょう。
「定率減税06年廃止に見る、この国の将来。」に2件のコメントがあります
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まあ何と申しますか・・・・「生きる」という観点から考えれば、我々は正に「自分の身は自分で守らなければならない」時代に入りつつあるということでしょう。国家という「器」に収まっているだけでは溺死し兼ねない、と。
今回ポストされた政策的迷走等を視野に入れた上で「この国のカントリーリスクは高い」と判断するならば、様々な意味で「リスクの低いトコロ」への"投資"を行なっていくことで、我々は生き残っていかなければならない・・・のかもしれません。
とはいえ、我々の(少なくとも私の)生活の場はこの日本です。生きていくだけならば現状でも何とか可能でしょうが、できれば「快適に生きて行きたい」ものです。環境的にも経済的にも。
>nina73さん
自己防衛するのはもちろんのことだと私は思いますが、ただ、この国は最低限の国民を守るということも、イラク人質問題のすり替えで放棄してしまいました。(行った人の良しあしは、政府の言及すべき事項ではありません)
ある意味、よりよく生きるためであれば、多くの国の人のように、国を捨てる、というのではなく、国を選ぶ、と言う考え方も必要になるでしょう。ただ、この国の英語教育や、国籍に関する考え方は、はじめからそれを否定させ、この国に縛り付けようとしているかのようです。
いずれにせよ、よりよい国で生活「も」できる位の自力をつける必要は高まっているのでしょう。