いろいろと今日はサイトを帰宅してから見て回りました。日中戦争に於ける南京での日本軍の行為をどのように捉えるかということは、諸説あるでしょう。実際中国が言うような30万は問題であるし、合同調査を拒否したのも中国側です。事実と異なった場合、特に中国は少しでも異なれば政府のメンツに係わるので当然とも言えるでしょう。
ただ、従軍した人達の日記には迫るものがあります。
南京事件資料集
無かったとしたい方には、日本人(日本軍)は規律正しく、そんな無法な事はしないので、事実として無かった「ことにしたい」という流れです。それは戦争を負けた事を認めない方に顕著に見ることが出来ます。
これらの日記で過大な事を書いているのだとすれば、多数の犠牲者と対峙することによって自分が「国に貢献していることを誇示」したいのだろうとも思われます。ただ日記にまで嘘書くのかねとも思いますが…。
少なくとも、便衣兵(大衆に紛れた軍人)の問題もあるでしょうが、俘虜に対する殺害指示について各所に記載があることからも、多かれ少なかれあったと言えるではないかと思います。それはこの戦争に於いて、欧米型の宣戦布告を行わず戦争を拡大し、その国際法違反を回避するために「事変」と言う言葉を使い始めた政府の行動と相似します。ある意味粉飾決算をする企業行動に似ているとも言えるでしょう。発端が何であれ(中国共産党が利用したという説が強いようですが)、上海、満州と宣戦布告をせず戦争を行った軍隊にさほどの利があるとは小生は思いません。実際、拡大を求めたのは駐留していた日本軍なんですから。
小生のちょっと前のエントリーに、江戸時代までの日本人はさほど真面目ではなかったという(3割程度が日雇いというかフリーター)記載をしたことがありますが、根本的には日本人は勤勉というよりは「何かに過剰に縛られている」のではないか、という仮説を持っておりますが、それであればこの問題の根本は容易に見えるような気がしなくもありません。
そんな中、南京事件「無かった派」教科書で有名な「つくる会」の政治的な背景について、教科書の教育委員による採択の推進、更にはその教育委員に監修者を送ったりと政治介入がありあり。監修者を教育委員に選定すること自体問題がないと思ってるんですかね…。
そう言えば東京日々新聞の1938年の南京での「100人斬り」競争の記事に関する後日の書籍について、名誉毀損だと本多勝一さん(まあ、この人も曰く付きですが)を訴えている件で8/23に判決がありますが、ここでの主張も同じようなものですね。
百人斬り裁判
被告支援(本多さん側)のサイトには100人斬ったと報道された方の遺書が掲載されています。
そこにはこういう記載があります。100人斬ったかどうかについては言及していませんが、この部分に「無かったことにしたい」精神構造が出ています。
公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります。犯罪ではありません。記事が正しければ報道せられまして賞賛されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。我々の事に関しては**、**両氏より証明が来ましたが公判に間に会いませんでした。然し間に合つたところで無効でしたろう。日本人に悪い人はありません。(後略)
(引用元-なお固有名詞は伏せた)
加えて言えば日本人の「死んだ人には罪はない」という「神様」や「仏様」とする概念から来るものなんだと感じています。しかし、戦争は歴史的にも結果責任。でも、この国では政治家すら生きていても責任を取りませんよね。
小生の前の会社には「過ちを認めれば辞めなければならない」と平然と語る人が多くいました。要するに「一旦辞めれば責任がない」…なんという連綿性のない社会でしょう。その過ちから経済的には若干の墜落をしたとは言え、他の多くの国が認める結果を出したのではないんじゃないか?と。それを誇らず戦争を誇るは少し違うように思います。過ちから立ち上がることが素晴らしいのに、成功したのは過ちが無かったから…そんな訳はないでしょと思うのですが。これも昔書きましたけど「1ストライク、アウト」な社会だからでしょうか? 失敗したら立ち直れない社会なんてどんなもんでしょ?
全てを「無かった」事にして「戦争責任」も回避しようとしている。そんなあなたの国が組するアメリカにはそんな考え方は通用しないのにね…と思ったら、あったあったありました。ブッシュさんの組みする「キリスト教原理主義」的思想だ。そんな彼らは京都議定書なんて関係ないのだから。
「天国移送(ラプチャー)」を信じる者にとって、キリストから新しい天と地を用意してもらえるために、地球などはどうなってもいい存在であり、京都議定書など関係ないのである。
(萬晩報 2002/11/09 キリスト教原理主義の危険な旅立ち)
私たちは、今までより危険なバランスの上に居ることだけは知っておく必要があるように思います。